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今日は、読書の日です。

このページに足を運んでいただき、ありがとうございます。
カバンに本が入っていると安心する、黒木りりあです。

今日は10月27日、読書の日ですね。
私自身、最近は物理的な本を購入して読む機会が減ってしまっているので、来年はもう少し読んだ冊数が増えているといいな、と思っているところです。

「読書」という言葉って難しいな、と最近不意に考えてしまったことがありました。

読書は英語だと"reading"という訳をあてるのが一般的かな、と思います。でも、この単語はあくまでも「読むこと」という意味で、その対象物は限定されていないんですよね。極論を言ってしまえば、読めれば何でも良いわけです。

ところが、「読書」だと読む対象物は書物に限定されます。書物というと、やはり基本的には本のような文章が紙に書かれたものを差しますよね。けれども、本を読む行為を必ずしも「読書」と呼んで良いわけではありません。雑誌だったりマンガだったりといった本、書物を読む行為を読書と呼んではいけない、という暗黙の了解のようなものがあるように思います。学校で設けられる「読書の時間」でマンガを読んだら怒られますよね…。なので、読書と呼んで良い対象の本は限定されています。

紙に印刷された小説なら、なんでも読書と呼んで良い、わけでもなさそうです。例えば、ライトノベルを読むことは読書とはいえない、という考えの人もいます。反対に、マンガをノベライズした小説なら読書にカウントして良い、という人もいます。人の感覚に依るところがあるので、難しいですよね。

「読書」という言葉で一番疑問に思ったのは、インターネット上で文章を読んだ場合のことです。

電子書籍は紙の本とほぼ同じ扱われ方をするようなので、読書と呼べる対象物は紙の本と同様なのかな、と思います。でも、それ以外はどうなのでしょうか?

私が高校生ぐらいだった頃はケータイ小説の大ブームが巻き起こっていました。ケータイ「小説」というぐらいなので、作品自体は小説にカウントされるのでは、と思います。けれども、「読書」にカウントされるかというと、微妙な気がしてしまいます。しかし、本として出版されたケータイ小説であれば、「読書」にカウントされる可能性がグンと上がるように思うのです。どの形態でも内容は同じなんですけれどもね。

近年のネット小説にも同じことが言えると思います。ネット小説を読むことって、一般的に読書と呼ばれるのでしょうか?私はなんとなく微妙な位置付けかな、と思ってしまいます。人気のネット小説作品はしばしば紙の本として出版されます。この紙の本であれば「読書」の対象物になる確率が高いように感じます。編集や校閲など、出版社の方々のお仕事が入って「本」という形態になることは理解しています。けれども、「読書」の対象物になる境界線がそこにあるか、といえば、なんだか釈然としないのです。

また、私は時おりインターネット上のアーカイブなどで数世紀前に出版された古い本の電子データを読むのですが、これも読書にカウントされるのか?と考えると、グレーゾーンな気がします。既に本として出版されたものではありますが、読んでいる形態は電子データです。うーん。

英語であれば"reading"でどれも片付いてしまうように思いますが、日本語の「読書」となると一筋縄ではいかず、難しいな、と思う今日この頃です。

「読書=良いこと」のようなイメージがあるから、より難しいんですよね…。やっぱり日本語って難しいですね。奥が深いです。
これからの未来、「読書」の対象物には何が含まれるのでしょうかね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。また、お時間があるときに立ち寄っていただけますと幸いです。

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