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MtFの私が家族との絶縁を経て

両親と絶縁して1年以上が経ちました。およそ1年間、両親の影が立ち現れて思考を支配し、悲しみや無力感に苛まれることが頻繁にありました。その都度パートナーの心配を煽り、自傷や自己卑下をやめられませんでした。自傷をする人たちの中に「気持ちがスッとする」という人がいると聞いたことがありました。中学生時代に自傷したことがありましたが、そのときは「この世から消えていなくなりたい」という強い自己否定がありました。誰からも認知されずに、記憶されずにいなくなりたいという気持ち。でも、大人になった今、衝動的にやってしまった自傷については「さらなる痛みで、苦しみを上書きしたい」という気持ちを実感していました。まぁそんなこんなをしているうちに、気持ちも晴れずに1年以上が経過してまったのです。

何度も何度も「両親に会いたい」と思ったけれど会わなかったのは、期待したらその分痛い目にあうだけだと諦めていたからです。このような葛藤状態に私はそれほど強くないので、自傷をしてしまうということでした。親に「私はもうこの家には戻らない。そちらの家のことはすべてそちらでやって」と言い放ったことが、果たして正しいことだったのか、本当に必要なことだったのか、ただの親不孝者じゃないのか、と繰り返し後悔しました。黙って手術をしたことは私の落ち度だったんじゃないか。私の体は親のモノで、きちんと許可がいることだったんじゃないか。カムアウトの手順は相手が侵襲的にならないように配慮が行き届いていたのか。私が親を苦しめている元凶なんじゃないか。たくさんの自責感と後悔に押しつぶされました。私がアクションしなければすべてのことは丸くつつがなく進んでいたんじゃないか。私がいることがすべての不幸なんじゃないか。「そんなことない」と簡単に否定できる自問が堂々巡り。自分を大事に思いたい気持ちと、自分なんていなくなってしまえという気持ちが、自我を切り裂き合うんです。

親にしてもらった嬉しいことは、嫌な記憶で塗り替えようもなく、当然のように思い出します。どこに連れて行ってもらった。いじめられていたとき力になってくれた。病院に連れて行ってくれた。たくさんの養育費を費やしてくれた。言葉にしてしまえば無味乾燥なことをいっぱいしてもらいました。私は愛されていると思っていました。愛されているからこそ、私が性同一性障害だったことにも気づいていたと思っていたし(現に気づいていたけど、手出しできなかった)、それを受け入れてくれるとさえ思っていました。それが傲慢だと気づいたころには、家族関係は崩壊しました。というか、家族関係はいつからか崩壊していました。いつから私の家族は壊れていたのでしょうか。母が私たち家族を捨てて高跳びしたいと漏らした日よりもずっと前から? 父がリストラにあってから? 自分の家族が崩壊しているなんて、その渦中にいるころに気づけませんでした。自立して、自分にも愛するパートナーができて、パートナーの家族と交流するにつれて、自分の家族がすでに形をなしていないことに気づいたのでした。

母は「私が十月十日(とつきとおか)かけて作った体を許可無く傷つけたことを許さない」と言いました。私は母の人形でしょうか。父は「ウェデングを挙げることなんて報告してこなければよかった」「お前らの責任でやることを巻き込むな」と言いました。私は愛するパートナーとの関係を祝福されてはいけないような人間でしょうか。そんなひどいことを言われてもなお、両親の声を聞きたいし、私なりの幸せを感じていた、かつての家族に戻りたいという幻想を抱いてしまいます。そんなものはとうになくなってしまったというのに。深く抉られた傷が、まだまだ癒えません。

年内に引っ越しを考えています。現在の住居は両親にばれているので、今度の住居はおしえないつもりでいます。それが両親との心理的な距離を取るひとつの方法だと思ったからです。私は、絶縁したあの日の発言のすべてが正しいことだったと肯定できずにいます。いつまでも悔やんで、悩んで、でも家族には会いたいと思って、でも会ってしまったら自分が自分でなくなってしまう恐怖もあって。もうわけがわかりません。私は私が何をしたいのか。たとえ家族に謝ってもらったとしても許せない仕打ちを受けた私が、家族にいったい何を望んでいるのか。答えはいつまでもでません。もしかすると出ないのかもしれませんが。

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