少しましになったのかな。

去る4月19日、念願かなって手術をしました。自分を男性たらしめるモノがまたひとつ消えました。今回は、そんな手術に関することと、家族へのカムにまつわる投稿です。

家族へのカウアウト

私の性別違和感は小学生のころに始まり、思春期に特に強まり、その後消えることなく、心のなかに引き裂かれるような葛藤を秘めていました。親から買ってもらっていた服から卒業して、自分で服を選ぶようになったとき、母親にワンピースを買ってもらいました。10代にして、母に対する一世一代の大勝負でした。わかってほしい、言葉にしてほしい、つらかったねと言ってほしい。そういう願望は、大人になった今でも時折顔を覗かせます。

パートナーから勇気をもらって、きょうだい(身バレの不安があるのでぼやかします)と父親にカムアウトしました。昼食を食べながら私は「あまり深刻に受け取らないでほしいんだけど」と報告しました。ふたりとも「なんだそのことか」と言わんばかりのあっさりした受け入れでした。きょうだいに至っては「やっと手術したの?」と言いました。ふたりは私の性別違和のことにかなり早くから気づいていました。当事者が家族にカムした体験談では「拍子抜けした」とかをよく目にしていましたが「ほんまかいな」と思っていました。いやほんまでした。

我が家は、母のほうが偏見が強く、父のほうがボケーっとしていて(ほめている)おおらかです。いわゆる性役割も非典型です。かといって父のほうが母性的かというとちょっと違うんですけど。なので母にカムすることが私にとっての大勝負です。私がカムする理由は、長いこと悩んでいたことに区切りがついたことを報告したかったというのと、何か騙しているような罪悪感がずっとあることでした。家族の事情によって、カムしたほうがいいかどうかはケースバイケースです。カムしないほうがいい場合もあります。母にカムするかどうかはとても悩んでいます。私が傷つくだけかもしれないと思うと、とても怖い。父には「墓までもっていくといい」と言われました。冷たいなぁ。

手術について

手術の内容には触れませんが、手術を終えて何がどう変わったかについて、主に心理的変化について書いていこうと思います。意外と変わります。

まず強く実感しているのは、自分の心にあった女性自認に自信がついたことです。完全な男性の体だったとき、私は女性自認を自覚しているにもかかわらず確証が得られずにいました。もっと正確にいうと「自分はオカシイ」と思っていました。男性の体に生まれて女性の気持ちがあるなど、そんなことはあるはずないと否定していました。否定しながらもどこかで自分を抑えきれないでいたわけなのですが…。

自信がなかったし、二次性徴に抗うこともできなかったので男性の体で男性として生きようと思った時期もありました。でもその時に出会った友人は「めっちゃホゲてたけどな」と言うので、やっぱり隠しきるのは難しい(ホゲるはゲイ用語でオネエっぽい仕草や口調のこと)。

手術をしたことで、自信は確実につきました。自分を男性にしていた諸悪の根源を取り除いたことで、レディース服を着ることやメイクにも前向きになりました。手術前もレディース服を着たりメイクもしていましたが、どうせまがい物なんだっていう気持ちがあって抑うつ的でした(もちろんですが、未オペで服着たりメイクしている人の誹謗をする意図はありません)。

手術をしても限界はあります。二次性徴の臨界を迎えた体が、二次性徴以前には戻りません。それでも自信がついたのは、女性ホルモンに拮抗していた男性ホルモンがほぼなくなったことで、これ以上男性化することはなくなったこと、もう男性と呼べる体ではなくなったことが影響していると思います。

手術で、割り当てられた性別の要素を取り除くこと、また戸籍変更して行政手続きなどで、性自認の性別欄に〇がつけられることなど、日常の些細なことを通して、自分が扱ってほしい性で取り扱われていることを実感すると、徐々に自信がつくのだと思います。なにより嬉しいです。そんな小さな積み重ねでも舞い上がるほどに嬉しかったりするのでした。

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