「最後」を生きる
人生は「最後」という区切りの連続だ。
小学生の最後、20代の最後、時代の最後…
「最後」の次にやって来る「新しい」環境は、自分が生まれ変わったかのように新鮮に感じることがある。
じゃあ、「最後」の瞬間を生きたワタシは「死んで」しまったのだろうか?
人は、実は一生のうちに何度も「死」を経験していて、だからこそ「最後」という区切りの言葉は儚くもあり、尊いものなのだろうか。
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「そういえば、学生最後の日、みーんなでバカみたいに飲んで騒いでやったよねぇ」
そうしみじみと語る、今は社会人になった友人の一言にハッとする。
「あれはもう伝説だね!今あんな無茶したらもう次の日ボロボロだよ(笑)」
「無茶と言えばさ、リアル参勤交代だー!とか言って、足パンッッパンになるまで歩いたこともあったよね(笑)あれを思い出す度に、バカだなーって笑えて来るの」
「あれはひどかったねー。でも、あれは今でも思い出して笑えちゃうね」
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人は「最後」という区切りに記憶を残し、その「過去」を愛おしむものなのかもしれない。
流れゆく時の中で、その瞬間をギュッと、宝石箱に閉じ込めるように。
そうすることで、大切なものを、大切なものだったと、気付けるように。
「最後」の平成を、わたしは生きる。
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