これまで編 幼少期〜小学校卒業まで

私は、会社員の父、専業主婦の母の元に次女として兵庫県神戸市に生まれました。
文字通り普通の家庭で何不自由なく育ちました。小さい頃から甘えん坊で、小学校に入るまではよく泣き母に甘え、お姉ちゃんにもくっつくように甘えていました。

根っからの次女性格で、姉が怒られていると『そうか。そうすると怒られるのだな』逆に褒められていると『私もほめられたい。どうしたら良いかな?』と
親から可愛がられるための“攻略法”のようなものを自然と身につけていました。


このクセは大人になっても変わらずで、自分の立ち振る舞い方は、
周りからの反応で決めるクセが身につきました。

小学校に入学すると、なぜか急に優等生の仕切り屋になりました。
クラスでも張り切って発言するタイプ。
恥ずかしいという感情もなく、でも目立ちたいという感情もなく、
どちらかというと『良い子』であることを優先していました。

だから、私の物事の選択基準は『これをすると人から褒められるのか?』が
ポイントでした。

授業で発言をして、すごーい!と言われると嬉しくてまた発言をする。
その繰り返しでした。

口調もきつい方だったので、クラスで友達が多い方ではなかったです。

ある日、私自身に変化が起こります。

小学5年生の頃、私が“仲が良い”と思っていたお友達数名が私と話がしたいと
担任の先生に呼び出されました。
放課後に、私を含めて6人程の女の子で話をしました。

話の内容は、私に仕切られるのがイヤだ。口調も直して欲しい。という事でした。
友達だと思っていた人達から、注意をされたことで私はびっくりして、その場で号泣しました。

今まで、好かれていると思っていた。友達だと思っていた。
でも、本当は、みんな私をイヤがっていた。

その衝撃が小学校5年生の私には、耐えきれなかったのです。
その場では、先生が丸く修め仲直りをしましたが、
私はそれからどう接して良いか分からず、
友達付き合いが分からなくなりました。


挙げ句の果てに、“良い子”でいたかったのに先生が親に電話をして状況を説明。
元小学校教員の母は慰めてくれましたが、
私は恥ずかしくて、チクった先生をしばらく恨みました。

私が覚えている中で、私自身が自分と人との人間関係に迷いだしたのは、
この出来事がきっかけでした。


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