仕事に溺れたい

 毎年確定申告で年始が忙しいので、どうしても一年が短く感じてしまう。今年は早めにやろうと思いつつ、土日が実家への往復に強いられてしまっていて、結局書類整理が今年も辛くなるだろう。

 休みの日を全然上手く使えなくなってしまっている。今年はもうフリーの仕事は辞めて、ネットカフェの店長オンリーでやっていこうか。

 来年には頑張ってあれこれ考えて、カフェ開業計画を実行したいので、12月の間に確定申告が出来るように準備をしてしまいたい。

 ここ数日のエッセイでも語っているように、明らかに怒ることが増えてしまっている。昨日の内容ではだいぶ私の怒りが強く出てしまったものの、対象者には一切何も怒るようなことはしていなかった。

 むしろ不意打ちを食らった形である。こちらが本来伝えたいことが、なぜか全てにおいて裏目に出てしまう。手助けですら、攻撃と見做されてしまう。最近の子の考えている事が何をやっても本当に分からない。そもそも脳の構造そのものが根本から違うのではないのかと疑い始めている。

 理解をしようにも、私の理解を超えた行動をされるので、結局助けようがない。

 その中で社内政治と、脳内思考の読めない後輩をかばいながら業務を行うには、いつか必ず限界が来る。

 少なくとも組織の上を目指すようなタイプでもなければ、後輩に優しくする気力もこの数年の社会人生活で、私にはことごとく向いていない事がハッキリしている。評価を頂ける事と、私が目指したいと思う社会人としての姿は、あまりにも噛み合わない。

 そもそも作曲家を目指した経緯が、誰かと組むことを拒む力が発端だという事を、未だに目を背けて忘れたつもりになってしまうのに、組織で動こうとするから歯車が狂うのだ。

 そして、自分で考えて自分で動いて、そして自分で作り上げる事に強い好奇心と関心がある。何より誰かを使ったり、誰かに使われるだけの素直さをもう失ってしまっている。

 使われることは嫌いじゃない。実際ネットカフェでは学生バイトや年下の社員なんてほとんどだったから。気がつけば私がお店を回すようになっていた。ただそれだけの事だ。特別スキルに優れているとかそういうわけでもない。単純に与えられた業務をこなす時に、たまたま自分で目の前で起きている事を、情報精査しながら取るべき行動を判断して動かなければならない状況に晒され続けてきただけだ。

 だからこそ、お客様を怒らせる接客をしないし、トラブル自体をそもそも産まない接客を出来るようになる。事実、どのスタッフよりもトラブルの回避能力は高いし、解決力も高い。これだけは自分が楽になるように、自分が辛くならないように、リスクマネジメントだけは徹底して行ってきたので自信がある。

 しかし、組織で誰かと組むことが疲れてしまった。それだけのことだ。遅かれ早かれ、私は何処かで完全に一人で業務を行えるフリーな仕事オンリーで活きていくだろう。

 そして、自分で何をやるのか考えながら仕事をしていく楽しみに溺れたい。

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