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30代にもなってまだ人生の迷いがあるオッサンの日常(3)

 私はですね、3という数字が嫌いなんですよ。なぜなら私が30代だから。30代ってもう若さを失って、ちょっと色々終わった感じがするじゃないですか。フレッシュ感が無いというか何と言うか....そして何より3って90度角度を変えたらもうおしりじゃん。30代ってそんなおしりの時代を10年も過ごす事になるんだよ?辛いじゃないですか。

 と、訳の分からないことを考え出すのが30代です。読者の皆様はどうか、こんな訳の分からない大人にはならないでください。

 前回広告代理店に勤務をしていた頃の話を書かせていただきましたが、その後の仕事も営業職を選びました。理由としては感情のままに退職届を出してしまっており、在職中に決めるのであれば、今やっている営業のスキルをそのまま活かせる可能性のある仕事に絞ってしまう方が可能性としては高いものと判断し、求人広告を使って仕事を探しておりました。見つけたのはコンサル業に属する(と、会社のウェブ上では説明されておりました)仕事なのですが、実際は今でもよく分からない営業内容だったものと感じております。2,3ヶ月程は無職の時期も覚悟をしておりましたが、この会社はすぐに内定が出ました。どんな志望動機を書いていたのか覚えておりませんが、その企業の仕事内容、企業理念を徹底的に調べ、広告代理店時代に学んできた事と照らし合わせながら雇うメリットとして繋げられるような履歴書を作った記憶はあります。

 良く志望動機で己の夢を語る志望者が多くいらっしゃるかと思いますが、間違いではないと思います。素直な言葉であれば。間違いがあるとしたら、志望者にとっては入社するメリットはあっても、会社にとって採用するメリットを感じてもらえるかといえば、共感してもらえる可能性が減るものと当時は思ったのです。実際はある程度自分よがりな動機だとしても、最終的に取ってもらえるかどうかは面接官次第だとは思いますが、何としても採用されたかった事もあり、営業マンとして己を売り込むような面接だった事を覚えております。

 面接に関しては間違いなく採用するメリットを理解してもらう流れにもっていければ、恐らくほとんどの会社は受かる可能性が高いと言えるでしょう。間違いがあったとすれば、採用するメリットを感じてもらうことは出来ても、シンプルにその仕事の向き不向きには全く関与しないこと。入社して1週間ほどで、私はこの会社に入ったことを後悔するのです。

 広告代理店の頃は自分でその日のスケジュールを組めるので、基本的に自分でこの日はここに行き、営業周りをして、この日は打ち合わせが控えているのでこのエリアを中心に営業して、原稿作成をするといった形で組みやすく、多少は先方の都合に振り回されることはあれど、基本的にはスケジュールの調整が利いたので、ストレスを抑えやすい環境だったのですが、この会社の営業スタイルは上司に1件ごとに報告を入れ、紙ベースで管理されており、分刻みの報告を強いられておりました。要するにコントローラーが指示を飛ばして、営業が作ったスケジュールに手を加えて何処で何をするのか管理するスタイルを採用していたのですね。

 これがすごく私の仕事をやりにくくしていた事は間違いなく、今まで自分で自分をコントロールして、営業前にどう戦略立てて戦うのか、どう打ち合わせをするのか事前に考えるのですが、コントローラーによってその思考をことごとく変えられてしまい、先方の所へ行っても思うような営業が出来ず、日々ストレスを感じるようになったのです。

 会社としては1件目はこの時間に到着し、何分間営業をしていたのか、移動時間はどれだけ掛かったのか、分刻みで何をしているのか報告を強いられている環境で一体どう満足に仕事が出来るのか。今でも理解が出来ない。少なくとも私には合わない仕事のやり方だった事だけは言い切れる。その仕事が単純に好きな人や、数字を追いかけることに貪欲は人でない限り、常に行動を把握し、縛られた状態の中で動くのはあまりにも酷な事だと思います。

 この仕事を経験することで、私は組織の中で働くという事には向いている仕事人では無いことを悟るのです。少なくとも、上司の指示を聞いて動くことは出来ても、分単位で管理されるタイプのやり方には向かないことが分かりました。

 こんな時に以前作曲家として活動していた時に出会った知人からレーベルを立ち上げたいといった相談を受けまして、作曲家を募集したいといった話を持ちかけてくれたんですね。

 ここで書いた通りの環境もそうですが、残業も実はかなり長く、1ヶ月で計80時間を越える残業を強いられていたのです。定時を過ぎた状態にも関わらず、1件回ってから帰るようにとの指示を必ず受けるため、その時点で残業は確定です。帰宅後には書類整理があり、そこで2時間は掛かります。どう頑張っても定時に対して大体3から4時間ほどの残業が毎日発生するのです。そんな環境だったこともあり、私は知人のレーベル設立に乗っかることとなるのです。

 はい、これが現在の作曲の仕事を振って下さっている事務所の社長である方です。以前の記事で、作曲家だけでは生活が出来ていないことを書いているので、この社長もブラック社長のような印象を与えてしまいそうなのですが、私の立場がそもそも雇用されているわけではなく、仕事を振ってくださってる状態でして、つまり私は作曲家としてはフリーランスの立場なんですね。なので、その時に仕事を振って頂いたり、コンペに勝てないと収入にはならないのです。

 作曲家としてのお話はそれなりにコラム(エッセイ)として書けることがありますので、別のマガジンの項目で語ることに致します。

 こうして所謂ブラック企業を8ヶ月ほどで去り、約3年かけて営業職を嫌いになってしまったのでした。学んだことといえば、向き不向きはやってみないと分からないということ。そして、やってみてからでは遅いということ。また、遅いと気づいた時点で次の策を練るべきである。特にその環境が自分を追い詰め、時間を奪うような仕事であればある程、正しい判断が出来なくなる環境になっているはずだから。脱出は早いほうがいい。早ければ早いほど次の環境へ移り易い事と、何より肉体的精神的なダメージを抑えることが出来るから。

 人間壊れてしまってからでは遅いのです。修復出来る傷なんていうのは、余裕が残っている時だけです。ボーダーラインを超えてしまったら、そこからはどんな優秀な医者でも、どんな優しい友人でも、己自身に戻れる場所なんて遠くなってしまうから。

 逃げることは恥ではない。動物は危険を前にしたら逃げます。立ち向かうのは人間だけです。しかし、人間は動物です。危険が目の前にあるのであれば逃げるべきです。これが一番この時期に学んだことです。

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