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99-解説的エッセイ-

 とはタイトルに書いたものの、当時小学生の私にコンセプトを持って作曲をするなんていうセンスは持ち合わせていない。何せ、この年になってもコンセプト先の作曲が少ないのだから。

 なので、この楽曲の解説というよりも、この曲を作った時期の話でも綴ろうと思う。

 この曲を書いたのは小学生を卒業する時期ぐらいの時で、この時はまだピアニストを純粋ながら目指したいと思っていた頃だ。同じ時期に出た坂本龍一さんのエナジーフローという曲が発表されたのだが、坂本龍一さんの楽曲は、オクターブ以上の和音を抑えなければならない楽曲が多く、手が大きくないと弾けない。

 私の手は小さい。オクターブの隣までは辛うじて届くのだが、その隣までは出来ない。そこから弾けない楽曲が存在してしまうことを嘆き、ピアニストになることは諦めてしまった。今の時代、コンサートホールで演奏する事だけがピアニストではないのに、勿体無いと思う。

 演奏家としては難しくても、作曲なら勝負が出来るのでは?と安直ながらも、センスで勝負をしたいと思い、同じくこのころ出会ったDo As Infinityを率いていた長尾大さんの書いた楽曲を聴き漁っており、そこから歌物作家を目指すようになった。

 この時期から既に作曲は行っていたものの、時代は当時私が好きなジャンルの楽曲は少なくなり、やれEDMやれアイドルと....いや、余計な事を言うのは辞めておこう。

 しかし、最近の楽曲にうんざりしながら、90年代00年代の楽曲を聴くと、やはりワクワクする。それでもこの頃のように熱を持って音楽漁りをする気力がなくなってしまった。コンペをやってもつまらない。本音を言うと今その状態である。

 憧れていた頃の流行と今は離れすぎてしまい、表現したい事はコンペでは達成出来ない。アーティストになるのが正解だったことを痛感している。

 形振り構わずバンドでも結成して、表現した音楽を一緒にやれる仲間を探してステージに立った方が幸せだったのではないだろうか?と、当時作っていた楽曲を聴きながら思い返してしまう。


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