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Catch me if you can(2002)の旨味

寒い。もう5月中旬だというのに、ドイツは依然寒い。

さて、

先日、Catch me if you can(2002)という映画を観た。
この映画、レオナルド・ディカプリオとなんとトム・ハンクスが出演しているだけでなく、監督がスティーブン・スピルバーグだと聞いていたので、相当な期待をしていた。
この記事ではまず映画の概要、具体的なストーリー、ここが凄い!!、そして映画のメッセージという順で映画を批評していきたい。

映画の概要

時代背景は1960年代前半のアメリカ。アメリカ全土を飛び回り小切手詐欺を繰り返すだけでなく、パンアメリカン航空のパイロットや医者、弁護士に偽装するなどしてアメリカを4年間だまし続けた、フランク・W・アバグネイル・Jr.という実在する男(まだ存命)と、彼を追い続けたFBI捜査官の攻防をハリウッド的に描いた作品だ。捜査官VS犯罪者というよく見かける「悪を退治する正義」といった構造ではなく、主人公のフランクがなぜ16歳という若さにして年齢や職業を偽装しなければならなかったのか、犯罪に手を染めるに至った経緯、何のために逃げ続けるのかといった点にむしろフォーカスしており、人間味あふれつつスリルも味わうことができるドキドキ映画だ。

具体的なストーリー

映画の始まり方は斬新で、フランク(レオナルド・ディカプリオ)は既にフランスの独房に入れられており、カールFBI捜査官(トム・ハンクス)が独房の外から小窓を通してフランク少年に話しかけるシーンから始まる。

と思えば、突然フランク少年とその家族の暖かい家庭の描写が入り、その後父親の事業の失敗、両親の離婚、フランク少年の逃走、小切手の改造、パイロット偽装という詐欺師物語が始まっていく。

フランクの詐欺活動がアメリカ経済に100万ドル(1億円ほど)の損失を与え出した段階でFBIが動き、カール捜査官が主体となってフランクを追い始める。フランクとカールの追いかけっこが白熱していくなか、カールはフランクと接触すればするほどフランクの「子どもらしさ(ある種のかわいらしさ)」を感じ、その子どもらしさから来る脆さとなおさら捕まえなくてはという使命感に背中を押されるのだった。というのも、フランクの一連の犯罪活動は「お金を稼いで家族でもう一度幸せに過ごす」という少年的のように純粋なモチベーションであり、彼は決してアメリカを陥れようなどというネガティブな思想の持ち主ではない。そういったなかで、フランクは父親の口から母親が別の男性と再婚をしたことを聞き、じゃあそれなら自分自身が温かい家庭を築いてやろうじゃないかと一般の女性と結婚しようとするが、それが結果的に自らの首を絞めることとなり、その後フランスに逃げるもカールに捕まってしまう。しかしフランクの身柄はフランスの警察の管轄が及ぶので、フランスの独房に入れられ、ここで一番最初の独房シーンに繋がるというわけだ。

その後アメリカに送還され凶悪犯罪者用の刑務所で服役することとなったが、4年間もの小切手詐欺歴によって培われたその勘と高いIQを認められ、服役期間中はFBIの一員として脱税調査に協力、というホワイトハッカーならぬホワイトフローダーのような立場となったというお話しであった。

ここが凄い!!(一番読んでほしい)

この映画の面白いところはまず何といっても映画の始まり方だろう。

最初にフランク少年が独房に入れられカールがその外から話しかけているシーンを写すことでフランクが犯罪者でありカールは捜査官であるという一番重要なキャラ設定をはっきりさせただけでなく、なぜフランス?なんで捕まってるんだ?なぜカールはフランクの体調を気遣っているんだ?という疑問点を投げかけ、視聴者の意識を集中させることに成功している。だが実際のところ、犯人と警察の逮捕劇がメインとなる映画において、犯人が捕まってしまうというオチが既に分かってしまうのは逆効果ともいえるが、それはアクション映画のような、視聴者よりもワンテンポ早い会話とストーリー進行で回避している。まあ、なによりディカプリオとトム・ハンクスが同じフレーム内に存在するだけでそんなリスクなど皆無だがな!!

次に、フランク(主人公)に情を移してしまうような巧妙な設計だ。

この映画では、フランクは犯罪者だ。一般的に犯罪者は悪というレッテルが貼られているので、基本的に視聴者からの情は移りにくい。逆に彼を追うカール捜査官の正義感に視聴者が心動かされるというのが王道だろう。しかし、それだと前述のように、出だしにフランク独房シーンで悪が既に退治された状況をネタバレしてしまっているので、どうせ捕まる悪の人生を辿っても面白くない。だからどうにかしてフランクに情を集め、視聴者の心情を惑わしたいのだ。「フランク...頑張れ」「うぅ…っ…逃げて」と。

そこでスピルバーグは、フランクの「少年らしさ」「家族愛」「人のぬくもりの枯渇」という面を強く印象付けることによって、それに成功している。
具体的に言うと、例えば詐欺を始める前(15歳)のフランクと父親のやり取りのなかで、

父「ニューヨークヤンキースが最強な理由知ってるか?」
子「だってミッキー・マントル(当時人気の野球選手)がいるからさ。」
父「違う。ユニフォームの縦縞模様を見てみんなビビってしまうからだ。」


というのがあるのだが、これを教訓として「外見から入る」ということを職業偽装の基本としていたり、父親が行っていた女性のナンパ方法を一人で試してみたりと、父親を尊敬していることが分かるシーンをところどころで入れているし、どんなに詐欺人生がうまくいったとしてもそれに驕らず、定期的に父親に会いに行き、全ては父親と母親をくっつきなおし温かい家庭を再構築することが目的なんだと自分に言い聞かせるシーンも複数個所ある。これらのシーンを散りばめておくことで、視聴者が、フランクの家族を強く思う純粋な心を応援したくなるようにしている。

そしてなにより、クリスマスイヴにフランクがカールに個人電話をかけるシーン。フランクがもうこの追いかけっこを終わりにしないかと提案しカールがそれを一蹴するが、実際フランクにとってはそんなことはどうでもよく、カールは自分の素顔を知ってる数少ない人物であるためどこかで親密さを感じ、友人として電話をかけてしまうというシーンなのだが、このシーンを入れることで、僕らに「ああなんてかわいそうなフランク…」と思わせようとしている。そしてまんまとボロボロに泣いてしまう僕。

というわけで、フランクが犯罪者で結局は捕まってしまうと分かっていながらも、どこかでフランクの詐欺の成功と逃走を応援してしまう視聴者の板挟みの心理をもてあそぶことに成功している…

最後に、後味の良さだ。


結局フランクは、皮肉にも、カールの渾身の「はったり」によって捕まえられてしまう。「ああこれでフランクの逃走劇は終わりか…」と、映画のスピード感は徐々にペースダウンしていくが、そこでなんと4年間の詐欺歴で培った勘と高いIQを認められFBIの一員として脱税調査の協力をすることになるという予想外かつみんなハッピー大救いエンディングを持ってき、さらにFBIの事務室でフランクとカールが共に仲良く犯人捜査を始めるシーンで映画を締めるという「この先もみたい~~!!」という高揚感を再び生み出すことに成功している。なんという後味の良さ。しかもこれがなんと実話。スピルバーグ半端じゃないな。

映画のメッセージ

最後にこの映画全体のメッセージはなんだったのだろうか。ただの犯罪者と捜査官の追いかけっこを描きたかったわけではないだろう。


この映画自体の時代背景は1960年代のアメリカ。戦時中の長期不況から脱し、戦後経済が安定していた。1960年代の実質GDP成長率も高い水準を保っているなどして、国としては比較的裕福だったのだろう。一方で、映画上映開始が2002年。2000年にITバブルがはじけるなどしてアメリカ経済が徐々に落ち込みながらも、2002年には勢いを取り戻している。
そういった社会背景を通して考えてみると、2002年という時代において、60年代黄金時代にその経済と社会の穴を潜り抜けたアメリカの大犯罪を取り上げ、最後に犯人と捜査官の協力関係へと転ずるシーンで締めることによって、「経済成長もいくとこまでいけば慢心によってこういった穴もでてくる。これからはしっかり前を向いて徐々に現実を見て回復していこう。」というメッセージを含めたのかもしれない。やや強引だが。笑

とはいえ、普通にドキドキとワクワクとシクシクの止まらない最高の映画だった。年代問わず勧めたい映画のうちの一つだ。

P.S. ディカプリオがイケメンすぎる...

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