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【エッセイ】お年頃SEの出張エピソード(新潟編)

約40年前の若い頃の思い出をつづる、ただそれだけのお話。いろいろ突っ込み所もあるけれど「あの頃の私って…」と、笑いとばして元気をもらいたい。


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農業用水管理システムを担当していた私は、米所の新潟へ出張に来ていた。確か、観測点の増設みたいな感じで、増設された施設の観測データが正しく送信できているか確認する仕事だったと思う。

新潟と言っても、山形のそば。長岡から新津に向かい、更に北上して坂町、で、越後なんたらという駅で下車。東北新幹線が開通した直後だったので、まだ楽だったけれど、それでも片道移動だけで半日はかかる。しかも今回は増設ポイントへの出張だ。駅で現地の営業が車で待っていて、現場に向かう。さすが日本有数の米所!見渡す限り田んぼが広がっている。たまに民家、そして鉄塔があるくらいで、田んぼの向こうは山波しか見えない。

「ここです」

用水路のかたわらに、ポツンと建つ、小さなコンクリート製の四角い箱のようなもの。中に水位や水量等を計測する装置が設置されている。当時は携帯電話なんかなく、トランシーバーも田園地帯では微妙に役に立たない。時計を見ながら計測機器の現場の数値を5回分ほど記録して、次のポイントへ向かう。それの繰り返しだ。

ひたすら田園地帯の、田んぼの畦道脇みたいな場所巡り。嫌ではないが… ちょっと困ったことが起きた。自然が私を呼んでいる!!

「すみません、この辺にお食事処とか…トイレありませんか?」

車を運転する営業の方に質問した。

「えっ?トイレ?そうか、困ったな。どっかの民家にお願いするしかないかも…」

女性SEは面倒くさいと思われたくないと、普段から気をつけてはいたが、生理現象はどうしようもない。(宿泊先選びもそうだけど)

少し離れたところに民家が見えた。そこに向かった。「誰か在宅していますように!」それだけを願って… 

「すみません!誰かいませんか〜?」

頑張って大声を出した。2回目ぐらいで、おばあちゃんが出てきた。

「なんですの?あんたは誰?」

「あ、私はこの辺の農業用水を管理しているコンピューターを見回りに来ている◯◯という会社の者なんですが、大変恥ずかしいお話ですけれど、お手洗いを貸していただけませんか?」

名刺を出して、お願いのポーズもした。

おばあちゃんは名刺と私の顔をみくらべて

「へぇ〜、あんたみたいな若い子がコンピューターをね。トイレはそこの突き当たりだよ。田舎だから古い和式だけど、あんたが気にしないなら使って構わないよ」

そして、玄関にあげてもらった。

「ありがとうございます!」

恥も外聞も捨てて、トイレに駆け込む私。いわゆるぽっとんトイレで、懐かしいちり紙がトイレの脇に積まれていた。ちり紙のゴワゴワ感に、なんかホッとしたものを感じた。トイレを出たら、タイル貼りの洗面所があり、ちょっと錆びた鏡を覗いて一安心。

「ありがとうございました。助かりました!」

おばあちゃんは外で、営業の方と楽しそうに何か立ち話をしていたが、二人ともくるりと私に視線を向け笑った。

「用事は済んだか?」  「はい」

車の中からも何度もお辞儀をして別れた。

トイレ騒動はこれ一回だが、過疎地を回る予定がある時は、用が有っても無くてもトイレのある場所が目に入ったら立ち寄ることにした。

で、各ポイントの計測データを収集した私は、受信センターのコンピューター本体のデータと照合させて、誤受信等無いことを確認し任務を終えた。

もう一度、ここのシステムを担当する機会があったので、お土産(確かヨックモック)を持ち、営業の人(前回と違う)に懐かしの民家まで車を出してもらった。

なんとあの後、営業がお世話になったと菓子折りを届けたそうだが、それを知らず私も菓子折りを持って行ったので、「トイレを貸しただけで、お菓子をたくさんいただけて、こっちの方が心苦しいわ。いつでもトイレ貸してあげるよ」と大笑いされた。

まぁ、それっきりとはなったけれど。

コシヒカリ(岩船産)を見ると、今でも時々思い出す。



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