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【エッセイ】お年頃SEの出張エピソード(広島編)

約40年前の若い頃の思い出をつづる、ただそれだけのお話。突っ込み所が満載で「あの頃の私って…」と、呆れ返りながらも若気の至りということで、笑い飛ばしたい。


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班長から「ちょっと頼まれてくれない?」と急遽増員メンバーに加わった。広島市内を流れる一級河川の管理システムを担当することになった私。

広島市は三角州地帯で、市内を流れる川もたくさんあり、流域面積も広い。この河川の治水は、市民生活や産業を守るためにも大切なことだ。

私は河川管理の監視盤設計を任された。河川図と観測ポイントに、現在の各種計測値を表示し、1時間後・3時間後の予想値も出し、危険水位とかになりそうなら警報を出すというもの。まず、監視盤の見た目のデザイン設計から始まる。

設置場所の広さから盤の大きさは決まるが、河川の描き方を地図みたいにリアル化するのか、路線図のように単純化するのか…そこから始まったりする。正直、趣味の問題だ。で、デザインの雰囲気が固まったら、ハードの設計はハード部門に任せて、今度はソフトの設計を行なう。降水量、水位、流水量、貯水量、放水量等のデータ収集と、大雨や台風時の急激な値の変化時の予想の立て方(計算方法)をどうするか考える。まぁ、そこは専門の土木技術の方々に数式をいただくのだが、その数式が正しくプログラミングされているかをチェックしなくてはならない。

いろいろ重大な任務を背負いながら、広島に向かった。新幹線も通っているが、広島への出張は飛行機がほとんどだった。そして、その飛行機はYS-11というプロペラ機だった。こじんまりした機内で天井が低く、エアポケットに落ちたり、気流の乱れでガタガタした時には、毎回「あ、死ぬ…」と心臓がバクバクしていた。そして何より、広島空港に着陸する時の…市街の真上を降りていく感じが、いつも「ぶつかる!」とビクビクしていた。(パイロットの腕を信じていないわけではありませんが)

ドキドキしながら空港に着いたら、市内の顧客先まではすぐ。市役所が訪問先なので、アクセスが楽だ。農水管理システム担当時代とえらく環境が異なる。お昼は普通に外食に行かれるし、夜もけっこう遅くまでお店が開いている。ビジネスホテルもわんさかある。

そしてここは広島!広島といえば…お好み焼き!で、広島でお好み焼きといえば、お好み村。お好み焼き屋さんが集まっている雑居ビルの愛称だ。ここ以外にも、道の並びにはお好み焼き屋さんがいっぱい。どこが一番美味しいのか、さっぱりわからない。選び放題だけど、選択肢が多すぎる。そんな訳で、地元の営業に「どこのお店がお勧めですか?」と尋ねる。いろいろ教えてくださったので、毎日日替わりで食べに行っていた。

お好み焼き以外にも、スイーツのお店とか教わった。そこが超お気に入りになり、その店のクッキーをお土産でいつも購入していた。丸い円柱形のブリキ缶にギンガムチェック生地の蓋がついて、ナッツやシリアルの混じった素朴な…子どもの掌くらいの大きさの丸いクッキー。『バッケンモーツァルト』というお店だ。今でもやっているみたい。

正直、食事を楽しみに仕事をこなしていた。「この作業が終わったら、(バッケン)モーツァルトに行って、ザッハトルテを食べる!」とか考えながら、監視盤のデータ入出力チェックをしていた。

あと… ちょうどその頃、職場の同僚M君と婚約中で、M君は四国のダムに行くことが非常に多く、滅多に会えなかった。同じ職場だから、そんなことは覚悟してるというか、当たり前なことというか、気にしてないというか… 少なくとも私は「会えなくて寂しい」とは感じていなかった。でも、周りの仲間たちは「こういう仕事してると、なかなか会えなくて寂しいよね」と気を遣ってくれる。で、わざわざ特別に、専用回線を使って広島と四国山奥のダムとダイレクトに電話できるよう繋げてくれて「ほら、話していいよ」なんていうこともしてくれた。まぁ、一度だけだったけれど、とても嬉しかった!

広島には、けっこう何度も通ったかも。

ちょうどCARPが優勝した時にも出張に行っていて、すぐ近くに球場があったから祝砲の花火やら、職場での歓声やらで「あぁ、広島が優勝したんだな」と、わかった。あの日の街は… 凄かった。

お仕事が終わった時の、割烹『酔心』での宴会は楽しかったし、美味しかったな〜!

(今回は食べ物の話ばかり)

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