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【エッセイみたいなもの】青焼|#シロクマ文芸部

 青写真は良く知らないけれど、青焼あおやきならわかるし、使ったこともある。

 もう40年以上経っているのだな…と、時の流れの速さを思う。さすがに、ついこの間とは思わないが、三十路を越えた息子たちの生まれる前の話だと思うと、歳をとったな…と身に染みる。

 新卒で、コンピュータ開発企業のひとつに入社した。理系女子SEの第一陣だったと思う。大学でプログラミング(ソフトウェア)は教わったが、現場では装置類等(ハードウェア)のことも理解しなくてはならなかった。理学部出身だっので、工学部のように製図はしたことがなかったが、システム構成図というものを書かされた。コンピュータ本体とそれに接続する印刷機や磁気テープ装置(懐かしすぎる!バックアップ装置だね。死語かも)などを図で記述したものである。

 あの頃のコンピュータは、食器棚くらいの大きさが主流で、パソコン(パーソナルコンピュータの略)とかミニコン(ミニコンピュータの略、死語?)と呼ばれるものは開発中で市場には誕生していない。ましてや現代のノートサイズのラップトップ(死語?)パソコンが、あの頃のコンピュータよりも天文学的桁違いに記憶容量が優れているなんて!印刷機も磁気テープ装置もあの頃はみんな何もかもが大きかった。それらを接続するケーブルも、直径1cmくらいの太さで、コンセントにバシッと差し込む感じだった。あと、私が配属になった部署の顧客先は、収集したデータを瞬時に表示する監視盤(壁にバーンと設置)というオリジナルの機器がある。そんな機器が集まってのシステムなので(設計図みたいな)システム構成図というものが必要なのであった。

 新聞紙見開き2ページ大(A1サイズ)の半透明なトレーシングペーパーに専用のペンで書く。最初は鉛筆で書き、後からペンでなぞり鉛筆の線を消す…マンガの作画みたいな感じだ。(余談だが、小学生の頃漫画家になりたかった)それにしてもトレーシングペーパーはツルツルしていて、鉛筆でもペンでも書きにくい。書くのに失敗したら専用の砂消しゴムを使わねばならないし、最悪書き直しする。「なんでこんな面倒くさい紙に書かないといけないんですか!?」と聞けば、そうしないと青焼できないからだと言う。感光透過させるため、透明でないと困るのだ。(半透明だけど)

 青焼する装置は、職場の片隅に一台置かれていた。いわゆるコピー機よりもずっと大きくて…って、A1サイズの紙を読み込むから、必然的にそれくらい大きくなるだろう。そして、青焼機の周りは何も載っていない大きな作業テーブルが3台ほどあった。

 図面が出来上がると、必要な部署や顧客への納品のため必要部数コピー…青焼をする。原紙をセットし複写用の感光紙(A1とか)も準備してボタンを押すと、FAXよりもゆっくりゆっくりと薄い水色地に青で書いた図面が印刷されて出てくる。しかもしっとり(そして臭い!)している。そのため乾かすために、広い作業台の上に広げておくのだ。その昔『プリントごっこ』というもので年賀状等を作成したことがある方ならご理解いただけるであろう。刷ったものが乾くまで、重なり合わないよう床一面にハガキを並べたことを。アレです!図面がA1サイズと大きいため、A4サイズに畳んだりもする。畳み方にもコツがあり、畳むための検討点も机に記してあったりする。あの頃はプログラミングして、図面も書き、各種の仕様書も作成、そして顧客に納品…次の仕事への営業?みたいな流れまでこなしていた。あ、書いた図面の原本はマイクロチップにコピー?して、然るべき場所に保管となる。

 私はプログラミングはそんなに好きではなかったけれど、図面書きとか顧客との仕様確認的な作業が好きだったので、そういう職場に適応できていたのかな…と思う。半田付けもしたことがある。本当にいろいろ、けっこうなんでもやっていた。

 青焼、調べてみたら、多分『ジアゾ式複写機』というものだったのだろう。今ではもう扱うことができなくなったようですが。

 懐かしい思い出語りとなりました。


[約1700字]

青写真って、青字に白抜きの図面…ですよね。私たちは使っていませんでした。(陰焼きとか言うらしい)。私が使っていた青焼はその逆で、陽焼きとも呼ばれていたようです。青焼の担当?になると、しばしその装置につきっきりとなるので、息抜き(コラッ)にはなりましたが、とても暇でした。複写された紙がペロンと全部出てきたら、地面に落ちる前に取り上げて作業台にシワが寄らないようひろげて乾かすのです。だいたい次の紙が出てくる前にあらかた紙は乾くのですが、A1サイズと大きいので場所をとって大変です。畳むのも大変😅

#シロクマ文芸部
#青写真

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