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風の中で待っている…

お小遣い叩いて買った初めてのレコード(レコードなのだよ。CDじゃなくて)は、当時大人気TV番組『木枯らし紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』だ。この曲や物語の良さは、むつらさんのnoteに時々熱く綴られているので、そちらを読まれると良いと思う。で、むつらさんのnoteの語りと多少被ってしまうかもしれないが、私の好きな歌詞の部分はイントロの…

どこかで誰かがきっと待っていてくれる

と、エンディングの…

きっとおまえは風の中で待っている

である。この2文だけで既に物語が、世界が出来上がっているし… 

私は『風』というものに強く惹かれる。見えないけれど、時にはあらゆるものを吹き飛ばしてしまう破壊力があったりする。でも、大抵は火照った身体を冷ましてくれたり、髪や頬をくすぐってくれたり… そんな優しいイメージがある。風にそよぐ枝葉は見ていても爽やかだ。心象の話になるけれど、どこへ行こうか気持ちが定まらない時に風に吹かれるまま、風に背中を押される形で歩き出すというか、そんな水先案内人のような力もある気がする。風の便りという言葉も、悲しい内容だったとしても、どこか悲しみが少し和らいでいるような… 風が角を削って届けてくれているような、そんな気がする。『北風と太陽』という寓話では、北風は太陽に負けてしまったけれど、それに憤慨して大嵐を起こしたりせず「まぁ、いいか」と、どこ吹く風で終わっているようなのも、なんか好きだ。

言葉には風を起こす力があると思う。世論とか風評とか、人の心に波風を立てることもある。だから、気をつけて使わねばならない。細心の注意を払っていたつもりでも誤解や曲解されることはあるので、どこまですれば良いのか…は、本当にわからない。ましてや、私のような特に文才もなく日記を書くような気分で、思ったことをつらつらと書きなぐっている人間が、こんな偉そうなこと書いても何をか言わんや…であろう。

それでも、わがままな自己満足かもしれないけれど、何かを誰かに伝えたくて拙い文を連ねて… 『♡』がもらえたり、コメントまで付いていると本当に嬉しくなる。

しかし、私は誰かに伝えたいとか思っているくせに、ハッシュタグは使わず、ほとんど独り言のように書き綴っている。それでも全く知らない人の目に触れている不思議。フォローしている人の繋がりとか、キーワード検索とかで記事が伝わるのだろうけれど、やはり不思議に思う。私の言葉が気まぐれな風に吹かれていろんなところへ舞散らばり流されている… そんな気がする。そして見知らぬ誰かの所に辿り着いて、しばしお時間とご興味を拝借し、運が良ければ反応があって私を歓喜させてくれる。ご縁を感じてしまう。上の方に書いた『だれかが風の中で』の歌詞を思い浮かべて、「あぁ、待っていてくれたんだな…」と壮大な勘違いの世界に私は陥る。

いろんな記事・言葉の舞う風の中で、待ってくれていたかのように私の記事を受け止めてもらえた感謝の気持ちは、いつも絶対に忘れないでいたいと思う。自分の事ばかりではなく、相手も同じ気持ちで綴っていることも忘れてはいけない。心に触れるものがあれば、素直に応えたいと思う。

風の中で待っている。あなたも、私も…

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