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連想ゲーム的な雑記 多分6

    金曜日は、基本休務日だ。ここ2〜3年近く例の感染症の煽りで開催されていないが、毎週金曜日の午後は地元のママさんコーラスで、私はメゾソプラノで歌の練習をしていた。何も無ければ、一昨年の秋頃に演奏会があったはず…  感染症もそうだけれど、私の実家の方でも不幸があったりとなんだかんだで、たまのパート練習にも顔を出さず、全く歌えない日々が続いている。

    私がコーラスに出会ったのは、本当に幼少の頃だ。昨年亡くなった父が、勤め先の銀行の合唱団に所属していて、しかも全国大会で金賞とか取るくらいでテレビ(多分NHK)でも放映されたことあったので「お父さんはみんなで歌を歌う人」と勘違いしている時期があった。練習にも連れて行ってもらったことがある。何度も何度も同じ歌を歌い直すから、幼稚園前後の私でも、意味がわからないながらも各パートのメロディーとか覚えてしまった。そして、斉唱より合唱の織り成すハーモニーの美しさを学んだようだ。3度のハモリなら、楽譜を見なくてもすぐできる程度にコーラスに染まっていた。

    小学生の頃、歌を歌うと言えば音楽の時間だ。私の通っていた小学校の音楽の先生は、教科書だけではなくNHK(←再登場!)の『みんなのうた』の楽譜も用意して、私たちに歌うことの楽しさを教えようとなさっていた。「覚えられる人は、こっちのメロディーも覚えて一緒に歌ってみましょう。」と、二部合唱へのチャレンジもあった。私は当然の如く、主旋律とは違うメロディーを覚えて、みんなに負けないように歌うことに喜びを感じていた。

    中学生になり、放課後の部活は最初はバレーボール部に入った。あの頃は『アタックNo.1』や『サインはV』が全盛期で、誰もが鮎原こずえやジュン・サンダースに憧れていた。運動神経は良くないけれど、根性だけはあったので、厳しい練習にも耐え、見事新人戦のスタメンに選ばれた…のだけど、家族にそのことを伝えると「勉強が疎かになる!辞めなさい。」と反対されて… まだ親に反対意見の言えなかった私は、意に反して泣く泣く退部。そして、他の仲良しの友達が勧めるコーラス部に転部した。

    女声合唱だったけれど、女声ならではの澄んだ歌声のハーモニーは、私の心を潤してくれたし… コーラスだって『合唱祭』というコンテストがある。ただ好きな歌を歌っているだけではない。より美しく心に響くように練習しなくてはならない。コーラス部だって朝練もするし、コンテスト前には遅くまで練習する。でも、もう絶対に辞めたりしない!Nコン入賞目指して頑張って歌っていた。

    高校に進学して、部活はどうしようかな…と思ったけれど、コーラスしか浮かばなかった。いや、チラッと漫画研究会にも興味があったけれど、そこはプロを目指すくらいの意識の人たちが集う場所だから『イラスト描くのが好き』程度ではダメだと思った。それに、高校の合唱は『混声合唱』だった。女声合唱も良いけれど、多分父たちの歌声を聴いて育ったからか、どこか物足りない思いも実はあった。

    その頃の思い出を綴った記事(物語)があるので、ちょっと貼ってみる。

    高校時代は、本当に部活(コーラス)が大好きだった。ソプラノのパートリーダーにもなった。自分のパートだけでなく、他のパートのメロディーも覚え、どこで音が一緒になったり和音を構成するのか調べて、みんなに伝えるのが大好きだった。歌詞の意味もいろいろ調べるのも好きだった。

    大学では将来の夢:教員になるのに役に立ちそうなサークルに入ったが、奇しくも隣の部室はグリークラブだったという…

    そして時は流れて… 約20年程前に、今のママさんコーラスに出会って入会した。有志で、NYのカーネギーホールで歌う機会にも参加した。あの時歌った Cantate Domino in B♭ … ホールに響く歌声は天に届くようで、今でも忘れられない。下のyoutubeは、私達ではないけれど、こんな感じで歌っていたかな…

   いろいろ思い出す、今日の休日。

    旦那は久々に出勤だから、一人で好きなことをして過ごしている。もう少ししたら、今夜は豚汁&回鍋肉を作ろう。

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