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鞍馬天狗のリアル版

鳥取県黒坂に泉龍寺という古刹があります。
幕末の京都で本圀寺事件が起こったときに、因幡二十士を幽閉したことで有名なお寺です。

当時、鳥取藩の内部では尊王攘夷派と佐幕派(幕府擁護)が激しく対立しています。
文久3年、尊王攘夷派の鳥取藩士20人が、佐幕派の重臣たちを京都本圀寺で暗殺しました。
くしくも、三条実美らが京を逃れる七卿落ちが起こる数時間前。
京都の町は大騒ぎだったようです。
捕らえられた20人は鳥取藩の泉龍寺に送り返され、ここで幽閉されました。

さらに泉龍寺から米子城へ移送される最中、この20人は逃亡します。
そして、長州藩と合流して倒幕に動きました。
この後、因幡20士の中心人物だった河田佐久馬たちは、会津戦争や五稜郭の戦にも参加しています。
しかし、因幡20士に対して世間の風は冷たかった。

鳥取藩主の池田慶徳(養子)は水戸の徳川斉昭の実の息子。
つまり15代将軍慶喜の弟です。
そんな関係で鳥取藩士は尊王攘夷派からも冷遇されていたようです。
河田は、明治新政府の中核には入れず、鳥取県令どまりでした。

泉龍寺には、因幡20士の遺品が沢山あります。
河田佐久馬のピストルは坂本龍馬を連想させます。
尊王攘夷派の中心人物たちとも連絡を取り合っていたようなので、坂本龍馬とも知り合いだったのかもしれません。
ちなみに、この河田佐久馬は鞍馬天狗のモデルだそうです。

地域に埋もれた歴史も、掘り下げてみると面白いものが沢山あります。

https://limpioyukito.jp/


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