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つぶやき日記4 ー 等しいレベルの生活を享受できる社会の効能

使える不動産英単語が、ちょうど半分まで来たので、

今回は、ちょっと趣向を変えて、

考えすぎて逸脱してしまったエッセイをお送りしたいと思います。


H for Handy Man

Hはハンディマン・便利屋 を書いていた時に、

仕事として分類や線引きが難しいけれども、

確かに人の役に立ち、生活の中で見過ごせない仕事の部分、

それを引き受けてくれている人たちに、

考えが飛んでいってしまい、

果ては、

boundary theory 境界線理論 とかborder study 国境研究/境目研究

にまで考えが広がって

取り留めがなくなってしまいました。


参照:使える不動産英単語のH


ハンディマンとは少し異なりますが、

昔の小学校には用務員さんと呼ばれる人がいました。

用務員さんは、今もいるのかなあ。

授業の後、生徒や先生が片付けただけでは

綺麗に収まっていない用具を整頓したり、

花壇のお花を丹精したり、

生徒が飼っている生き物を補助的に見てくれたり、

私にとって日本のハンディマンのイメージは用務員さんです。


「用務員」の英語訳を見ると、janitor が出てきます。


アメリカ英語では

janitor 学校の用務員さんビルの管理人

の意味もあるのですが、

他の地域だと単純に清掃員 cleaner という意味の時もあります。

きっと海外では「清掃は専門の人がやる」

という考えが強いのかもしれません。

そして、なぜか

清掃という仕事を下に見ている文化の国もあるので、

清掃員という英単語を使う時は

少し配慮が必要かもしれません。


今、日本の学校で

授業の合間に清掃を教えていることが

注目されています。

私もやりました。

給食の後に机を動かしてモップを持って・・・


海外に長く住んで、

清掃を大事にとらえない国や文化は

発展が安定しないことが多いと思いました。

これは単なる私見で、

なんとも心許ない理論。

まるで占いの言葉みたいですね(苦笑) 


でも、考えてみてください。

自分の食べた後は汚いから、

専門の清掃員に掃除させて自分は触らない。

うーむ。

今まで口に持っていっていたものが、

一瞬にして食べ残しのゴミとなり、

そうなったら汚いものに変わってしまう・・・

海外のファストフード店で、

食べた後の食器を片付けちゃう日本人。

食べた後は専門の janitor が片付けるので、

自分では片さない国が多いです。

綺麗好きな清掃員もいるけれど、

清掃や清掃員を下に見ている国では特に、

清掃員の人たちが

キレイな生活をしている教養のある人たち

ではないことが多く、

なぜか清掃用具の掃除とメンテナンスがおろそかです。


考えてみてください。

キレイな掃除用具を使ってない人たちが掃除した空間のことを。

これってキレイな場所ですか?

右のテーブルの食べ残しを含んだ雑巾で

左のテーブルを拭き、

食べ残しを広げるような掃除をする人をたくさん見ました。

貧富の差が激しくて、

お金持ちは掃除をしなくて良い、

という考えに囚われていると、

こういうことになっちゃうんじゃないのかしら。

つまり貧乏が故にキレイな生活をしていない人が

清掃する空間のキレイさには

自ずと限界がある、

ということなのかなあ・・・

全員に清掃をさせる日本の文化に

海外の注目が集まるのは、

やはりこういう点を危惧する人も

多いからではないかしら。



高級レストランの椅子でさえ、

前の人がこぼした食べクズで汚れていることが多い。

でもウェイターたちは清掃員じゃないので、

すぐにキレイにはしてくれない。

高級レストランのウェイターともなれば

中流以上の生活をしている人たちで、

清掃員レベルじゃないから、

人の汚れをキレイにしたりしないのです。

こうなるとどうなるか。

しょうがないからマネージャーを呼んで強く言うと、

清掃員が呼ばれて、

いろんな食べクズが挟まっている雑巾で、

ぶらんぶらんと拭いてくれるのです。

が、雑巾の中の食べかすがさらにおっこちてきて

余計汚れる、

なんてことも経験しました。


GDPとかではサゲサゲの日本ですが、

そんな数字では測れない、

大事なものも世間にはあって、

日本はそういうところに

かなり高得点が得られるような努力をしていると、

海外から帰って感じることが多いです。

安全、安心、清潔、親切などなど。

もっとも

そういうところには点数がつかない。

それに、

そういう日本に慣れきって、

自分の所有物を放置することで席取りをするのが当然、

などの行為は、

ちょっとどうしたものかな、

と心配に思うこともあります。

この発想で海外に行ったら

すぐに物を無くしますよ、

なんて忠告したくなります。

余計なことですが。


以前香港で、

とんでもなく文化的あるいは感覚的なズレを感じて辟易し、

葛藤したことがあります。

その父兄は、

息子がジャニターに親切にしたという作文を、

嬉しそうに公表していました。

学校でも褒められたそうです。

周囲の人たちは、

「本当に優しい子なのね」、

「最下層の人間ともきちんと交流できる息子さんは立派だ」

などと言って褒めまくってる金持ち集団でした。

私は何も言えませんでした。

さしづめ日本なら、

「校内で働いてくれている人と、

意見交換をして学ぶことが多かったですね」とか、

そんな評価がつくだけではないでしょうか。

もっとも、

香港の人は、背景や育ちなどから多様性も豊富なので、

一つの体験から一種類に括るのは危険です。

この時は偶然、

こういう感性の金持ち集団だったのだと思います。

でも全体として、

清掃や身の回りのことをケアする仕事を

下に見ている風潮は強いと思います。


他国のことはともかく、

日本でも、

いわゆるサービス業と言われる分野の人手不足が深刻です。

サービス業は、

物理的にその場に行って

肉体労働をすることが多いと思います。

スクリーンを触っていればお金を儲けられるのとは違います。

それなのに、

看護師さんや介護士さんの給料が低いというのは、

そしてそれがさっさと解消されないのは、

日本人の将来の幸福を脅かす事態だと思うのです。

貧富の差ができつつある日本ですが、

まだまだ、看護師さんや介護士さんと、

面倒を見てもらっている患者さんや入居者さんの

生活レベルは

ほぼ同じと言っていいと思います。

つまり、自分の生活の清潔レベルで、

患者さんたちの清潔レベルを保とうとしてくれている。

これは、自動的に起こることで、

元々の生活レベルが違っていたら、

どんなにお金を払ったって、

知らないものは知らないのです。


つまり、

貧富の差があまりない、

みんなが等しいレベルの生活を享受できる社会の効能、

というものがあると思うのです。

冗談で言ってるんじゃないんです。

掃除機なんか使ったこともなく、

洗濯機なんか見たこともなく生活してきた人に、

私の望むレベルに生活を保つよう

家政婦として働いてね、

と頼んだって、

無理な相談というものです。



家族もお医者さんもやってくれない部分、

そんな隙間を埋めてくれるお仕事に、

もっともっとお金が払われて

感謝される社会になったらなあ、と、

老いを感じ始めた私は思うのでした。



怪我や病気、老衰などで、

死期が近づいた時、

最後にお世話になるこれらの人たちが、

親切で働き者でよく気がつく

そして自らも幸福感を持っている人だったら、

私たちは本当に幸せです。

ペイのいい仕事となれば、働こうという人も増えるし、

そうなれば、

海外から、

生活の質の大前提が異なる人を招き入れる必要も減る。

すると

すごい労力を使って説明する必要も減るし、

気分良く暮らせる人が増える

のではないでしょうか。


海外から来てくれる人を締め出そうというのではなく、

どういう部分に適材適所か、

もう少し考えてもいいんじゃないでしょうか。

海外から来る人も、

日本語さえマスターすれば大丈夫と思って来たのに、

全然違うプレッシャーをかけられて、

辟易しているかもしれません。



不動産関連で書いているのに、

全く関係のない方向に、

逸脱していく私の発想。

どうにかしないとね。

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