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日本語にはない韓国語①"모르다(わからない/知らない)"

いつの頃からか(韓国語の勉強を始めてだいぶ経ってからだと思うが)、「모르다モルダ」という言葉が不思議で仕方がない。
なぜ不思議なのかというと、そもそも日本語には「모르다」に該当する言葉が存在しないからだ。
모르다は「わからない/知らない」という意味だが、「わからない」は「わかる」の否定形、「知らない」は「知る」の否定形であって「모르다」そのものではない。「わからない/知らない」は直訳すれば「알지 못하다アルジ モッタダ」又は「알지 않다アルジ アンタ」となる。
「모르다」は日本語だけでなく英語にも中国語にも存在しない。英語では「ignorant」という形容詞を使うこともできるが、모르다を訳す時には「do not know/understand」を使うほうが一般的だろう。中国語では「不知道プーチータオ」。いずれも「わかる/知る」という動詞に否定の言葉(「ない」「not」「不」)がくっついている。
「모르다」に該当する言葉を持っている言語はあるのだろうか?ためしにGoogleの翻訳機能で「잘 몰라요チャル モルラヨ(よくわかりません)」という文を約50か国語に翻訳させてみたところ、ほとんどの言語に「not」に該当すると思われる言葉がついているのが確認できた。勿論、アラビア文字などは解読できないし、全てが「not」に該当する言葉かどうかも自信はない。しかし、あくまでも「なんとなく」のレベルではあるが、韓国語以外に「모르다」に該当する言葉を持っている言語はほとんど存在しないのではないかという気がする。
もし、そのような言語の存在をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えて頂きたい。その言語を徹底分析してみたい。韓国語との姻戚関係にまで辿りつくかもしれない。
それぐらい「모르다」という言葉は特殊な存在であるような気がしている。

「それがどうした!『모르다』は「わからない」と訳せばそれでいいじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、問題はそう単純ではない。この「모르다」という(日本人にとって)奇妙な言葉に別の言葉がくっつくと問題がさらに複雑になる。

僕の大好きな트로트トゥロトゥ(演歌)歌手、장윤정チャンユンジョンの「이따, 이따요イッタ イッタヨ(あとで、あとでね)」という歌

여자맘을 몰라주는 남자는 싫어요ヨジャマムル モルラジュヌン ナムジャヌン シロヨ

という一節がある。「女心をわかってくれない男は嫌いよ」という、日本の歌謡曲にもありがちな歌詞だ。
この歌自体は大好きでよく聴くのだが、聴くたびにこの「몰라주는モルラジュヌン」という部分が気になって仕方がない。
「모르다」という「否定的な意味」に「주다チュダ(くれる/あげる)」という「相手に恩恵を与える意味」がくっついているからだ。
これは日本語の世界では到底成立しない構造だ。
この場合、「女心をわからない」ことは女性にとって「嫌なこと」であり、それを「してくれる」と表現するのは矛盾しているのではないか?
確かに、日本語でも「目に物見せてくれるわ」「よくも騙してくれたな」などと、自分にとって「嫌なこと」を「~してくれる」と表現することはあるが、これは非常に限られた場合に使われる表現であり、上の歌詞の解釈には当てはまらない。(「殺してやる」の「やる」も同様)
このような場合を除いて、日本語では、「~してくれる」は通常、自分にとって「うれしいこと」にしかつかない。つまり「女心をわからない」という「嫌なこと」に「~してくれる」は直接くっつくことができないのだ。
代わりに、日本語では「女心がわかる」という「うれしいこと」に「~してくれる」をつけて、まず「女心がわかってくれる」という、「うれしいこと」だけで統一された1つの塊を作る。そして、それ全体に「ない」をつけて「わかってくれる」+「ない」=「わかってくれない」として初めて「嫌なこと」に転化させるわけだ。
仮に「わかる」+「ない」=「わからない」という「嫌なこと」の塊を先に作り、これに無理矢理「~してくれる」をくっつけようとすると、「わからないでくれる」となり、「わからない」ことが「うれしいこと」に変わってしまう極めて特殊な例にしか使えない表現となる。(「俺の本当の気持ちなんて誰にもわからないよ。いや、いっそわからないでくれたほうがよっぽど気が楽なんだ」みたいな、非常に特殊な意味を含んでしまう)

この点を日本語がわかる韓国人の友人と長々と論議したところ、「몰라주다」と言うのも、日本語的に「わかる」+「くれる」+「ない」=「알아주지 않다アラジュジ アンタ」と言うのも、「どちらも自然で全く差はない」という答えが返ってきた。これ以外に「보여주지 않다ポヨジュジ アンタ」と言うのも「안 보여주다アン ポヨジュダ」と言うのも同じだとのこと。つまり、「否定的なこと」「嫌なこと」に「~してあげる」「~してくれる」をくっつけるのは全く不自然ではないと言うのだ。

このように、ある程度韓国語がわかるレベルになれば、「몰라주다」を「わかってあげない」「わかってくれない」と自動的に訳すことはさほど難しくはなくなるが、逆の発想で「わかってあげない」「わかってくれない」という日本語を韓国語に訳そうとすると、かなり韓国語レベルが高い人でも、ついつい日本語式の「わかってくれる」+「ない」という発想で「알아주지 않다」と言ってしまうのではないだろうか?勿論これも正解だが、「몰라주다」が一発でパッと出てくる人はかなり韓国人的な発想に頭が切り替わっているネイティブに近いレベルだと言えると思う。
確か油谷幸利先生の日韓対照言語学の本だったと思うが、「わからない/知らない」を韓国語に訳そうとすると「모르다」という一言で表現できる便利な言葉があるにもかかわらず、ついつい「わかる/知る」+「ない」=「알지 않다」としてしまう人が多いと書いてあった。ちなみに「알아주지 않다」は自然だが、「알지 않다」は非常に不自然な表現(というかほぼ間違い)、あるいはわざと意識的に「わかろうとしない」というような特殊な意味を含む表現になるそうだ。

書けば書くほどよくわからなくなってきたが、この奇妙な「모르다」という存在が何の違和感もなくすんなり入ってくるようになるまでは、自分の韓国語レベルもまだまだなんだなーと思う。
でも、恐らくこうした違和感を日韓の学習者が共有することが、お互いの言語や文化の理解につながるのでないかという気もしている。
少なくとも、自分の韓国語学習への興味・関心は、こうした日韓両語の微妙な違いが「気になる」ことから全てが始まり、40年経った今も続いている。

ほかにも同様に「否定」の意味をもつ「トル」(「より~ない」「まだ~ない」)についても非常に興味があるが、なかなかそこまで手が届かない。「덜」は英語の「less」と似ているので、日本の中学生は「less」の概念や使い方を習得するのにかなり苦労するが、韓国の中学生はすんなりと理解できるに違いない。

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