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夢の王子様は闘い続けていた

プリンスがもうこの世にいないなんて信じられない。そんなのまだ納得できてない。…ということで地元ミネソタのラジオ局が26時間ぶっつづけで全曲マラソンしてるのをストリーミングで聞きながらこれを書いている。

あまりに悲しいからまず思い出を昔語りする。

めったに夢にイケメンが出てきてデートしたりってのはないんだけど、一度だけ夢のなかでプリンスが出てきて、ベッド・インしようよとせまられるというのを見たことがあってさぁ。

プリンスの音楽は大好きだけど、男の好みはどっちかっていうと、すっきり爽やか淡白系男子、だと思っていたので、中性的っちゅうか、爬虫類っぽくさえあるプリンスはストライクゾーンに投げたボールが客席に飛び込んで、なにやってんの、弾幕うすいよ!ってな感じだったんだけど、起きた時に妙にエロい気分で、萌えました。男だったらパンツぐっちょり、ってヤツ?

そういえば、プリンスの他にも、ウォーターボーイズのマイク・スコットとどこぞの鄙びた温泉地を旅行しているという夢を見たこともあって、貧相なヒョロんとしたうわぜに浴衣を着たマイクが芥川っちゅうか、川端っちゅうか、それはそれで枯れたイイ感じで不倫旅行ですかこれは?ってな雰囲気を醸し出していたことがあってねぇ。

ごめんなさい、ろくでなし子さん、もうしません。この度はおめでとうございます。彼は着流しがよく似合いますよ。(って知った風にw)

それはさておき、夢に出てきたプリンス。彼のコンサートに行ったのは2度。1度は「なりゆき」で。

まだ若かりし頃、仕事で定期的にボストンに行くようになった時期があったのだけれど、観光地を一通り回った後は、ニューヨークよりさらに古い街並みが面白くて「ノースエンド」と呼ばれる旧市街地をウロウロしてはアイリッシュパブやイタリアンレストランに入って遊んでたんだよね。

シアトルで言えばパイオニアスクエア? ニューヨークで言えばウェストビレッジ? 仕事を済ませた後は、石畳の道や、レリーフが施された銅の天井パネルが残っているような店で、「いや〜、歴史を感じるよね〜」って悦に入ってるわけさ。で、その日は暗くなってきたし、そろそろホテルに帰るべと思って歩き出した。

そしたらナゼか大勢の人が同じ方向に向かって歩いて行く濁流に飲み込まれて「あれ? どうして? あ、私のホテル、そっちじゃないし。っていうかナニ、この人たち?」と、一人反対方向に進もうとして人の波に溺れかけていたわけですよ。

そのへんでメガホンをもったおいたんが「チケットを持っている人はこっち!」って言ってるから「チケットないです!持ってません!あれ〜、出してぇ!」みたいに叫んで逆行していると、7〜8人ぐらいのグループに捕まって「チケット持ってないの? だったら1枚ゆずるよ、友達が一人、来られなくなったから」ってチケットくれたんですが、それを見て、ようやくこれはすぐそこのフリートセンターで行われるプリンスのコンサート会場に向かう人波なんだと理解した。もちろん、そうなったからにはもがくのをやめて素直に連れて行かれましたともw

いま見てみたらフリートセンターって名前がTDガーデンに変わってた。で、これが思ってたより良い席で、ステージが中央にあってプリンスはだいたい斜め後ろのアングルになっちゃってたけど、その分、プリンスさまのお尻にかぶりつきって感じで。わりと背が低いのは知ってたけど、その分ハイヒールのブーツで全身プリプリで踊りまくり、歌いまくり、ファルセットボイスで叫びまくり! プリンス〜! いぇ〜い! もうサイコー! しびれるぅうう!

いや〜、思いがけず楽しませてもらっちゃって、でもそのグループの人たちはコンサートの後「じゃね〜」って感じでチケット代も受け取らず、クルマで地元に戻ってから飲みにいくからバイバイ!ってあっさり別れて今に至る。

でもね、書こうと思ったのはそんなことじゃないんだ。ここまで私の勝手な思い出話に付き合ってくれたのに感謝。ここから先は、リアルタイムでアメリカにいたのに、私がよく知らなかった(知ろうとしなかったのかもしれない)、天才アーティスト、プリンスと、いい子ぶったアメリカ政府や利益最大化を優先しようとする企業との戦いの話。

映画でもテレビでも、アメリカは日本で想像する以上にエッチな内容に厳しいわけだけど、音楽にしてもそれは同じ。なにしろ、国の始まりといえば、ローマ教会は甘すぎるぜ、もっとキリスト教ってのは貞節を重んじなきゃだめだ!とイギリスから移ってきたピューリタンが望んだ社会だったわけだからねぇ。現代もアメリカ人ときたら人一倍ポルノ大好きなくせに、子どもに見せたらあかん!ってのが徹底されている。

ネット配信が当たり前の今ではムリな話なんだけど、当時はレコードやCDというパッケージで音楽を買っていたわけです。今から30年ほど前、80年代半ば、プリンスは「パープル・レイン」を発表して絶好調の時期。

12歳になる娘がプリンスの「Darling Nikki」という曲に合わせて腰を振っているのを見咎めて歌詞に仰天したのが、後に副大統領となるアル・ゴアの奥さん、ティッパー・ゴアだったんですよね。当時の写真を見ればわかるけど、金髪、保守的な服装でいかにも折り目正しいアメリカの奥様(右の青い服、肩パッドが80年代を物語るw)。いや〜、揃いに揃ってステップフォード・ワイフですかってなw

『ダーリン・ニッキー』の歌詞はもろエロというか、「ニッキーって娘がいたんだけど、ヤリマンだったよな/ホテルのロビーで一人エッチしてる時に出会ったんだ/部屋に連れて行かれたら大人のオモチャがいっぱいで/ニッキ―は腰をグリグリグリグリグリグリ…」ってな歌詞で、普通にプリンスというか。別に喘ぎ声が入ってないだけマシじゃん?ってな。

それをティッパー・ゴアはワシントンの政治家の奥様連中と徒党を組んで抗議運動を開始したわけ。まぁ、ヒマだったんだろうね。どう考えてもアルは絶倫系じゃないしなw

でもプリンスの歌詞って卑猥なんだけど、変によくわかんない比喩を使ったりしてないし、今のギャングスタ・ラップみたいにHo’だのBitchだのと女性性を貶めているのとは裏腹に、女もセクシーで性欲があってセックス大好きでエンジョイするのは大歓迎、自分で自分の欲望を正直に体現する女性って魅力的じゃん、ってのがプリンスのスタンス。なのにさぁ。

ワシントン奥様軍団の運動によって、米議会で公聴会が開かれることになり、Filthy Fifteen(もっとも卑猥な15曲)リストなんてのが作られて(でもそんなの作ったら、ティーンエイジャーとしてはお小遣い握りしめてその15曲が入ったアルバムを買いに行きたくなるわけで、バカですねぇとしか)、悪影響を与えるとされたミュージシャンの代表として、フランク・ザッパ(あんまり似合ってないスーツ姿)やツイステッド・シスターのディー・スナイダー(We’re Not Gonna Take itのあのカッコのまんま)が議会で証言するという喜劇に発展したのでした。

その結果、PMRCというティッパーが作った団体のせいで、その後アメリカで発売される音楽CDには「卑猥な歌詞があります」というシールを貼らなきゃならなくなったとさ。あ、15曲のリストがコレ。マドンナはまぁわかるとして、AC/DCとかシンディー・ローパーまで入ってるんだよ。くだらねー。

これ以降、CDにはこんなステッカーが貼られることになったとさ。バッカみたいでしょ。今はもうストリーミングやダウンロードして聞くのが普通になったから「そういうシールもあったねぇ」ってな話になってるけど。プリンス本人はその後、エホバの証人になったこともあって、自らエロい歌詞は封印してしまったんだろうなと思ってた。そういう歌詞じゃなくても、プリンスの声はセクシーだし、腰ふって歌ってくれれば充分感じちゃうしね。

でもプリンスに降りかかった災難というか、圧力はこれだけじゃなかった。18歳になったばかりの頃に既に大手レーベルから引く手あまただったプリンスは、結局ワーナー・ブラザーズと多額で契約したけれど、1993年にどのぐらいレコードを出すかで揉めて(というのもプリンスは1日に1曲書けるぐらいの天才だったけど、レコード会社はもっと儲けようとそれを制限しようとした)、自らの顔に「奴隷」と書いてパフォーマンスしたり、名前を読めないラブシンボルの記号に変えることで、抵抗した。

その後も、誰よりも早くオンライン配信に着手したかと思ったら急にやめたり(97年のアルバム、Crystal Ballは電話/ネット注文でタダだったり、2013年にもイギリスではデイリー・ミラー紙の読者限定で20TENアルバムを配ったりした)、ファン相手に肖像権のことで訴訟を起こしたりしていた。でもそれらは今から思えば、天才的なクリエイターが自分がいちばん納得できる形で自分を表現したいという確固たる信念のもとに行われていたことだった。

でもそういう事情を知らないと、なんか最近のプリンスって奇行が目立つよね、ドラッグでもやってんじゃないの?ってな話になっちゃってたと思う。何しろ、いったんステージに上ったパフォーマーとしてのプリンスとあまりにも対照的に、たまに(いやそうに)メディアに露出する素顔のプリンスは恥ずかしがり屋で、謙虚で、奥ゆかしい人なんだもの。

でもコンサートでの彼は、黒ブリーフのタイツ姿とか、お尻丸見えの黄色い網スーツとか、大胆すぎるというか、アンドロギュヌス的なスタイルが多かったよね。歌詞だけじゃなくて、あの姿格好でも、ティッパー・ゴアみたいな保守派のアメリカ人にとってはかなり抵抗感があったんじゃないかと思う。初期のヒットソング、「Controversy」でも、みんなが彼のこと、白人なのか、黒人なのか、男なのか、ゲイなのか…ってなことを歌ってたじゃない? 

プリンスがそんなアメリカの“世間様”のやり玉に上ったのは、アメリカでもてはやされてきた白人マッチョの男なんてセクシーじゃないよ、ってことを体現していたからなんだな、と今ならわかる。プリンスがパープル好きだったのも、男が青で女が赤とか、保守州が赤でリベラルな州が青とか、そういうのバカバカしいでしょ、どっちも併せ持つパープルが最高でしょってことだったんじゃないのかなぁと思ったり。

だからこれだけプリンスが愛され、その死をみんなが嘆き悲しんでいることにちょっぴりだけ希望を見出してしまうのだ。

また夢に出てきてくれないかなぁ。そしたらもう、こっちから押し倒しますよ。あ、でもそれよりギター渡して「なんか歌ってよ」って言っちゃうかな? セクシーな歌をたくさんありがとね。昨日雨降りだったプリンスの自宅/スタジオ、ペイズリーパークには虹がかかっていたそうです。全米のあちこちでは建物が紫にライトアップされているし。RIP, My Prince.


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