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高校球児はグラディエーターだと書いたらバズったので

私は以前から根性論でやるチームスポーツが嫌いで、毎年のようにお正月になれば駅伝を「マラソンをチームスポーツにしたガラパな正月エンタメ」と揶揄し、夏になれば高校野球を非難し、アメリカにおいてはアマチュアのアメフトを糾弾しているんだけど、自分では既に風物詩化していると思っていたこの恒例ツイートが連日数千単位でRTされてちょっと驚いている。

RTだけならいいけど、こうなるとフォロワーでもない大勢の人の目に触れるので、決まって「スポーツやったことのない人が言いそうなこと」とか、「出場選手たちは好きでやってるのに失礼な」ってなレスが飛んできてゲンナリするので、もう少し突っ込んで書いて一段落させたい。

甲子園高校野球の何がよろしくないと思うのか?

・プロ野球への登竜門だという主張は百害あって一利なし

まずは投手の話からやっつけると、まだ体が成長途中にあるティーンエイジャー、しかも甲子園チームにありがちな、キャプテンと4番打者まで兼ねているようなピッチャーに、連日炎天下で9回、ひどいときには延長戦まで「投げ切らせる」なんて、プロとしての将来の可能性を潰し、選手寿命を縮めるものでしかない。

その対極にあるものとして、例えばメジャーリーグのピッチャーの扱い方と比べるとわかると思うが、あそこでは「選手生命」という長期的なスパンで考え、契約金以上の活躍をしてもらうのが目的なので、中4〜5日のローテーションで投げさせる。統計的にそのぐらいは休みがないとERAが上がってしまうとわかっているから。

アメリカだとなんでも統計とって数字を出して野球をやっているので(かつて『マネーボール』という秀逸な本があったので興味がある人はぜひ)ピッチャーが一生に投げられる玉の数ってのに多かれ少なかれ限界があるってことがわかってるし、ひじの故障をかなり治せる尺骨副靭帯手術(体の他の部分の筋肉を肘に移植する)も発達していて、最初にそれを受けた選手の名前をとって「トミー・ジョン」手術と呼ばれているくらいだ。毎年MLでも数十人がこの手術を受けているから、ピッチャーとしてキャリアを全うする選手は避けて通れない手術とされている。

そして毎試合出番が終わったら直ちにチーム御用達の医者やトレーナーの監督のもと、肘を氷で冷やす措置を取っている。(ヒーローインタビューなんかに引っ張り出されても肘や肩に氷当てたままで出てくるし、それが失礼だというコンセプトもない。)つまり、スライダーだのナックルボールだの含めて「野球のボールを投げる」という超技巧行為は物理的に限界があって、「気力で投げる」みたいな精神論でもぶったら「バカでつか?」と言われそうなのがMLの常識ってわけで。

プロの試合でも、個人の責任感みたいなことで「もっと投げたい」とマウンドでゴネる投手に有無を言わさず(まぁ話を聞いてやる監督もいるけど、MLだとそれはピッチングコーチの仕事であって、監督が出てきたら即交代のサイン)、どのタイミングでリリーフを入れて勝利につなげるかという采配の腕が監督の良し悪しを決めるわけだから、「お前の気持ちを汲んで投げさせてやる」とか「痛みを我慢して完投したからえらい」みたいなことは誰も言わない。

考えてみたら甲子園で活躍したヒーロー投手君たちで、メジャーリーグでも5〜6年以上安定した成績を出しているような選手はいないんじゃない? マー君も松坂もダルもみんなまだ若いのに数シーズンで故障、復帰しても以前と同じレベルでは投げてないよね。それは高校生ん時から肘を酷使しすぎてるからだ、と思えば納得できるっしょ?

ピッチャーの話ばかりするつもりもないし、他にいくらでもその辺の知識のあるスポーツライターがいるだろうからこの辺にしておくとして、他のポジションにしたって、内野手と外野手、そしてキャッチャーに必要な体力や技術はそれぞれ違う、ってのが前提だから、トレーニング内容も変わってくるし、メジャーリーグだと個人差も考慮してトレーニングメニューを組む。当たり前でしょ。それぞれ筋肉のつき方から、才能から、体力からして違うんだから。日本の甲子園チームみたいにみんなでおんなじように走りこんで、千本ノックして、腕立て伏せして、グランド整備まで一緒にやったって「気持ちが一つになる」以上の効果はないと思う。気持ちがいくら一つでも勝てない時は勝てないんだし。

・「夏の甲子園」という熱いイメージが暑苦しい

温暖化で毎年のように最高気温が上がってきてるの、知ってるよね? 大阪って盆地だから湿度も半端ないし(そもそも人が暑苦しいしなってジョークはおいておくとしてw)、東京でだってオリンピックなんかやったら死者出るんじゃないの?って本気で心配するよね? テレビで見ているあんたらは夏休みでエアコンの効いた涼しい部屋でスイカでも食べながら観てるんだよね? 「やっぱ夏はこれだよなぁ」とか言いながら。でも「夏」にこんな命をかけたガマン大会みたいなこと、やらせていいの?

今や小学校で外気温が30度超えたら生徒は屋内に避難させる、って時代だよ? お年寄りには熱中症にならないようにちゃんとエアコンつけましょう、って注意喚起するくせに、高校生はあのクソ熱い球場で延長戦させとくわけ? それって殺人行為に近くない?

入場行進でプラカード持ってた女の子がぶっ倒れた時、選手が誰も動かなくなったのをみて、背筋が凍ったよ。どうなっちゃってんの? こいつら?ってレベルで。


・選手が自ら進んで参加しているという主張はクソ

だって高校生の分際で「この練習は自分には必要ないトレーニングだからやりたくないです」「もっと指導が具体的で論理に則った監督に替えてください」「甲子園にドームつけるか、日程を涼しい季節に変更できませんか?」とでも言えるって本気で思ってるの? 彼らには「(全て言いなりになって)野球をやりたいか、「(部活そのものを)やらないか」のチョイスしかないんだよ? 時には同調圧力で退部さえできないんだよ? 私のこの主張が野球が好きでやっている子たちに失礼だとか、彼らの気持ちを踏みにじってるとか、糞リプ飛ばしてきた人たちは、そこんとこ考えてからモノ言いな。

というわけで、一番わかりやすい例えが、ローマ帝国時代のグラディエーターだと思うわけ。これはそんなにオリジナルな考えでもなく、他にそういうことを言ってる人も見かけたことがあるしね。落合信彦も昔から球児たちは“剣奴”ならぬ”球奴”だ、と主張していると教えてもらった。

でっかい競技場で、お互いに、あるいは猛獣相手に奴隷を戦わせて、その死闘を庶民がみんなで熱狂して楽しむというグラディエーター、ラッセル・クロウ主演&リドリー・スコットの名画『Gladiator』はとりあえず一見の価値アリということでオススメしておく。

ちなみにクロウのセリフ「Are you not entertained?」は「楽しんでるんだろ?あん?」みたいな意味。なかなか挑発的でよろしい。

実在した奴隷の中には、仲間と脱走してヴェスヴィウス山で反乱を起こしたスパルタカス(こっちはカーク・ダグラス主演の古い映画がある)とか、34戦21勝のシリア兵フランマとか、動物相手が得意な金太郎みたいなやつだったカルポフォルスとか、ローマ皇帝ネロのお気に入りだったスピクルスとか、数時間にわたる死闘の末、共倒れで引き分けたプリスクスとヴェルスとか(←妙に奴隷名に詳しいw)、グラディエーターが盛り上がった時代って、それまでの侵略戦争が拡大して、首都ローマみたいな中心部では、自分たちが前線でやっている戦争というものの実感が湧かなくなった時代に、歴史を振り返りましょう、みたいなお題目で、自分たちが勝った海戦なんかを再現してたわけですな。

一生タダで労働させられる奴隷はどうせ平均寿命短いし、活躍して生き残ればローマ市民に愛されるヒーローにさえなれる(実際にローマのご婦人方がグラディエーターとできちゃったとか、駆け落ちしたとか、けっこうあった)わけで、グラディエーターはイヤイヤ戦わされていたわけではなく、むしろ自ら志願して、鬼コーチ(みたいな人)の指導のもとでトレーニングしていたと言える。その辺も甲子園野球とかぶるんだよね。ほんの一握りだけど、栄光をつかめる者がいる、いくら勝っても一銭ももらえない、身分はずっと奴隷であることに変わらないって点で。

人と人が殺しあったり、動物に殺されたりしているのをわざわざローマ市民は観に行ったんだよ。何万人も。わざわざ遠くから。

昔は公開処刑やってた国もあるし(イスラム原理主義に支配された一部地域では今も)、誰か芸能人がバッシングされているとみんな喜んでワイドショー見てるでしょ? 自分がやるんじゃなければ、人間って残酷なこと、好きなんだよ。その辺の心理を分析したこんな本もある。

こんなこと、毎年のように非難しているんだけど、今年、さらに怖いなと思ったのは、同じ頃にツイッターの友人が日本帝国軍の戦略はクソだったって主張に噛みついてるウヨクがいたのを目にしたから、ってのもある。それを書くとさらにウヨから攻撃されるのを承知で書くと(結局、書くんじゃんww)

これって旧帝国軍が若者を特攻隊に送り込んだのと構造が一緒だよね?って話な。

甲子園:「我々は正々堂々と最後まで戦い抜くことを誓います」
ローマ帝国:「我ら死にゆく者なり、アヴェ・カエサル!」
旧日本軍:「お国のために英霊とならんことを」

戦後はこれがユルくなって甲子園野球に取って代わられただけじゃね? 

もう誰も覚えてないその他大勢の負けた学校の補欠の選手にも「甲子園に燃えた俺の夏〜」みたいな思い出をあげるのと引き換えに、スポンサー企業ががっぽり儲けている搾取の図てのもあるね。今回、諸悪の根源として朝日新聞の名前を出してきたリプも結構あったけど、個人的には地元のOBだの後援会の人たち、ってのもヘドが出るね。おまいらが現代のスレイヴマスターね。そんな風に自分が甲子園野球に尽くしました、みたいな青年がおっさんになって、今度は下の世代をしごく、「文武両立はないよ」って言っちゃう鬼コーチになる。あるいは、地元で“必勝”ハチマキしちゃって母校のために頑張れ!って大型スクリーンの前で舞い上がってる後援会のOBになるというサイクル。

じゃあ、どうしろっていうの?何ができるの?って話だけど、これは高野連が悪いとか、スポンサーが悪い、という細かい話ではなくて、構造の問題だから私ひとりが非難してどうできるものでもないかな、とは思う。今回のツイートに賛同してくれたような人たちが増えれば、おそらく試合の視聴率が下がるとか、高校野球の部員が集まらないとか、そういう形で表面化するのだろうけど、そうするとおっさんどもはすぐ「若者の野球離れ」を嘆く記事にしたりするぐらいで、高校野球の構造自体が悪いから変えよう、とは思わないよね。

もちろん、ベースボールというスポーツそのものを否定するつもりは全くないので、学校ベースではなく、純粋に野球をやりたい人たちが集まったり、プロを目指す子たちが、プロの指導者の素で役に立たない「しごき」ではないコーチングを受けられる環境が作れればいいよな、とは思う。まぁでもそれも日本の野球が好きではない私がどうこうできる、というか、するつもりもない。甲子園という舞台だけではなく、日本の会社でもよく見られる、体育系の男から男にバトンタッチされていくこの「しごきの輪廻」が私一人の力で壊せるとは思わないし、そもそも関わりたくない、というのが本音。悪いけど。

実は私も若い時にかなりヘビーな部活というものを経験しているので、チームスポーツに参加して仲間と得られるカタルシス、ってのは理解できる。ほんとは何の役に立たない苦行にも達成感はあるから。若い時はそれ以外のオプションがあるというのがわからないんだから、しょうがないよね。そんなわけで、私は自分の青春を無駄遣いしたと今では後悔している。あの時の情熱や時間を他のことに使っていればな〜、と。

一方で、いつものフェミ的なおばさんとしては、せめて女子高生たちに言ってあげたいこともある。それは、「一万個おにぎり」に象徴されるような、こんな悪のサイクルに加担する「女子マネ」なんかやめときな、ってこと。『タッチ』の浅倉南、ってあれ男の幻想だからw 美人で新体操もできる、ってんでなければ、南って球場にいた応援者の一人じゃん。She’s a nobody.しかも「甲子園つれてって」って何その他力本願? 梅田で須磨浦公園行きの電車に乗ればいいだけだろ!一人で行けよ!って昔から思ってましたw

もし、そんなに野球が好きだというのなら、自分たちでやってみる方が面白くない? だったら女子野球部、作っちゃいなよ。組織力ってものが学べるよ、きっと。

他にもまだまだ文句はあるんですが、とりあえずこれでアップしておきます。

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