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割れてしまうまで

ざわざわしている。ワンマン以来の居酒屋ふるやでのライブだった。会場入りの前に新曲を思いついてしまい、リハーサルを無しにしてもらう。そわそわしている。全く。完成祝い飲酒もそこそこに阪急に揺られ、気が付けば本編最後の曲だった。アーカイブ残るのか。過ぎたことは本当にどうでもいい。なぜならそわそわしているから。飲み過ぎた。私はもう駄目だ。

翌日は9年ぶりの三国ヶ丘FUZZ。SNSにいない時も私は生きているし、表立っていない時には理由があり、それは暇人の妄想にすり替わり、更に暇な人が真に受けたりもする。仕方がないし、馬鹿に何を思われてもどうでもいい。ただプライベートに実害が及びつつあり、接近を仄めかす内容もあるので現在弁護士様と相談中。開示請求という言葉が身近になる人生だったとは。

何かをやり続けていたことの一つの証明として、この夜、三国ヶ丘FUZZとの9年間を30分で埋めた。伝わりづらく感覚的なものが「確かにそこにある」と感じるのはとても心に好い。生き甲斐と言い換えてみてもいいのかもしれない。ただ飲み過ぎた。私はもうかなり駄目なのかもしれない。


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