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スピリチュアルな人生の後半期へと移行してきたあなたへ

あなたがもしこれまでの人生で多くのものを築き上げてきたにもかかわらず、それらがいとも簡単に奪われたり崩れさったりして人生に挫折や絶望をしているならこれから先のメッセージはあなたの救いとなるかもしれません。

私たちの人生には少なくとも一度は自らの意思で決定することもコントロールすることも及ばず、またそれらに対応したり改善することも一切できず私たちの理解の範疇を超え、人生の方向感覚が完全に奪われたかのような状況が訪れます。

まるで真理はあなたに本当の自由と平安を与える前に、いったん惨めにする傾向があるかのように。

それは時として経済的な破綻かもしれませんし、大切な人を失うことや健康的な身体の機能が奪われるようなことかもしれません。

なぜこういった喪失による痛みが人生のある節目であなたを突然襲うのでしょうか?

あなたは何か大変な間違いを犯したのでしょうか?

それともカルマによる報いや宿命などによって運命付けられていたのでしょうか?

実を言うとあなたがいかに自分の思考の範囲内で理屈や理論を用いてその原因を導き出したとしてもいずれもその正解はあなたを真のゴールへと導くものにはなりません。

なぜならそれがどんな答えであったとしても、例えば他人に原因があるかに見えようとも、私自身の過去の過ちに見えようともそれを導き出している源があなたが今まで知らずに一体化していた自我(エゴ)自身による思考だからです。

自我は他者と切り離された個人として限定的な存在である肉体にあなたを閉じ込めておくことを求めます。

そうすることで自我の最大の目的である分離の想念を強化することに成功し、この二元の宇宙こそが唯一あなたのいるべき世界であると宣言します。

これはあなたを時間と空間の中に投獄し、矮小で脆弱な肉体へと幽閉することを意味しています。

しかし、これは人生の前半期ではとても役に立ちます。

なぜなら人生の前半期での課題とは、「真の自己」を納める適切な器をこしらえるための最初の基本的なレッスンである

「私の特性はなんだろうか」

「私はどうしたら生計を立てて安全に暮らせるか」

「誰が私とともに人生を歩んでくれるのか」

といったような答えを見つけることだからです。

つまり人生の前半期では技術や能力を身につけ、この世界の中で自分なりの生き方を見出し「健全な自我」を育てることがその目的であるということです。

まず、自分という個人のアイデンティティを確立した上で、そうした外の世界で手に入るものが自分を真に幸せにすることはできなかったと痛感した後に、はじめて人は自分が持っていたすべての価値観を疑問視し、本当に学ぶべきもは何かという準備が整うからです。

この準備が整った後半期の人生での課題はとてもシンプルで、その器には何が入り何を運ぶのか、その中身を探すことの一択となります。

もっと言えばそれは今では厚い忘却のベールによって覆われているがために、中身を探すと言うよりもそれを隠し続けている障壁や障礙を一つ一つ明らかに観て取り除いていく作業になります。

つまり器ができあがっても、それで人生が完了するのではなく、器はより洗練されることで肉体は今や神聖な祭壇、また清らかな神殿として「真の自己」を迎え入れるための段階へと人生がシフトしていくのです。

それはまるで宇宙へと飛び立つスペースシャトル(肉体)が地上の重力(この世界への執着)から解放(目醒める)されるために強力なエンジン噴射(強い意志)の力を必要とするようなものです。

人生の前半期では自分の努力によって様々なものを獲得できるという自信、つまり人生の主導権を手にします。こうしてあなたは自身の人生の操縦者として真の創造主の権威を借用しながらもあなたの意思は強く鍛えられ磨かれていきます。

その後、人生の後半期を迎えるにあたって「真の自己」の導きにより本当のあなたへと刷新されるべく、これまであなたが手にしてきた知識や自信などから得られた様々な経験や所有物が実は自我によるこの世界にあなたを拘束し続ける誘惑であったと知らされ、この自我からの脱却には人生の前半期に鍛えられた強い意志が必要となるのです。

この時期は多くの人が葛藤を伴い今まで価値を置いてきたものが奪われるような痛みを経験します。

人生の前半期で手にしたもの全てはあなたを真に幸せにするものではなく偽りの幻想に過ぎなかったけれども、そこで磨かれた強い意志が「真の自己」へとあなたが還る莫大な燃料としてこの経験とともに蓄えられるのです。

しかし、多くの人々がこの器という肉体の維持と修復のためだけに時間を費やします。

その先にあなたを待っている、そしてあなたが真に望んでいる偉大で栄光高き贈り物があるということも知らずに。

ここで問題となるは、人生の前半期があまりに多くの血と汗と涙による膨大な歳月を必要とするため、まさか次のステージがあるなどとは想像もできないことにあります。

要するに、この人生においてこれ以上の何かがまだあるとは思えないのです。

なぜならあなたの身内や身近な周りを見渡してもそんな人生の後半期を経験している人なんてそうそう見つからないからです。

それがなぜかと言えばあなたの周りに存在する人生の前半期こそが人生の全てであるかのようにあなたを説得し束縛してくる人々をあなたが新たな視点で彼らをありのままに観て赦すことがそのレッスンに含まれているからです。

あなたから離れていったかのように見える人やあなたに敵対し非難してくる人、またあなたを苦しめる様々な世界の事象が実は実在していなくてあなた自らが捏造したもの、そしてその最奥の中に「真の自己」を見つけるまでそれは隠され続けます。

あなたは遅かれ早かれ、現在のスキルや知識、強い意志力では乗りこえられない、何らかのできごと、それは究極的には死を連想させる喪失の体験が人生に侵食してくるかのように感じ恐れます。

大きな視点から見れば、あなたは自分の個人的能力の限界にまで導かれるのです。

あなたがそれに抗えば抗うほどその「躓きの石」による体験はより苦痛を帯びたものになるでしょう。

新約聖書にはこのようにあります。

見よ。わたしは、シオンに躓きの石、妨げの岩を置く。
彼に信頼する者は、失望させられることがない。

ローマ人への手紙9章30節―33節

これこそ「真の自己」があなたに近づいて変容させ、自我中心的な思考体系を手放させ、より大いなる旅の先へ導こうとする聖なる道なのです。

これが真実ではないと否定したくなるのはもっともなことですが、古今東西のスピリチュアル文書や聖者が辿った道においては、ほとんど絶対的な真理と言えます。

正直に言って誰でもやむをえない状況に追い込まれなければこんな道は選びたくありません。

招待は思いがけないときに、またこちらが探し求めていないときにやってくるものです。

自ら進んでスピリチュアルな道を求めようとすれば、自我が新たな顔で戻ってきてしまうのみです。

その場合、変化は擬装され自分流の偽の自己改善に終わってしまいます。

悟りや目醒めを意図的に求めたり計画したりしても、それが自我に操られているかぎりは失敗するしかありません。

あなたに見えるのは、もともと探しだそうと決めていたものだけで、これから何をすべきか、あるいは何を探すべきかなどといったものはあなたには分からないのです。

それゆえ失敗と屈辱の力によって謙虚さを手にしたあなたは、これまで見ようとも思わなかったものの方へと導かれます。

後半期においてあなたはパンドラの箱を開けるかのように認めがたい「偽りの自己」と、その思考体系が生み出し続けている価値判断という攻撃の想念が他者と自分を裁き続けていたことを知ることになります。

あなたが前半期に構築してきた「偽りの自己」は悪いものでも、邪なものでも、自己中心的なものでもありません。

ただそれが「真実ではなかった」というだけです。

それはあなたのマインドが捏造し維持してきたものですが、すべての虚構がそうであるようにいずれ消えてゆくことになります。

「偽りの自己」とは、自分自身の見たくない部分であり他人に見せたくない側面です。

あなたが入念に「偽りの自己」を作り上げ選択し、それを防衛してきたとすればその分だけ多くの「偽りの自己」とのワークが必要となります。

これまで自分だと信じていたもの、こうあるべきとの思いから積み重ね高みを目指してきたものから一変、底辺へと転落してゆくとき、あなたの恥ずべき認めがたい思いが浮き彫りになってゆきます。

必要な「躓きの石」が前半期でつかんだものから手を引かせ、築き上げた自己イメージの仮面が取り去られる過程においてあなたがこの世界に与えていた様々な価値の対象も次第に失われてゆきます。

スピリチュアルな人生の後半期においては、もはやあなたを駆り立てる動機は地位や名誉の獲得といった世俗的な成功や願望達成でもなく、他者からの賞賛でもありません。

あなたは自らの聖なる道を見出したのです。

この聖なる道を先導するのはもはやあなた自身ではなくなります。

あなたはそっと退きこの聖なる道を大いなる愛へと譲ります。

あなたが何者であるかを思い出すこの帰路の旅において、これまで「偽りの自己」が作り上げ避けてきたものすべてが真の友として、また聖なる教師として戻ってきます。

ただ次のことを覚えておいてください。

あなたを後半期に進ませないようにするのは、あなた自身しかいません。

あなたの勇気、誠実さ、信頼の欠如だけが、後半期である帰路の旅を妨げるのです。

この旅を歩いてゆくか、避け続けるかはあなた次第です。

ですから、子育ての失敗や、リストラによる失職、挫折した人間関係、肉体的なハンディキャップ、ジェンダー・アイデンティティや、経済的不遇、悲しむべき虐待の体験といったものに、もはや時間を浪費しないでください。

痛みも計画の一部です。

その痛みはあなたの厚く閉じられた殻に衝撃を与える「聖なる傷」となるでしょう。

まず最初に転落があり、その転落からの回復がある。
いずれも神の恩寵である

レディ・ジュリアン

すべてのことは善きことのために一体となって働いています。

ここに一切の例外はありません。

何かを解き明かそうとしたり、分析したり、排除しようとしないでください。

あなたにただ明かされるままにしてください。

静かな道がここに開かれています。

幸せな気持ちでその道を辿ってください。

あなたの新しい旅の始まりを私は祝福します。

そして同じゴールを共有する旅の友としてここに歓迎します。


苦しみからの脱却は闇を恐れずに直視することで消えてゆくに続く


あなたはもう一人ではありません。

なぜなら、あなたは神に創造されたままの完璧な存在として
今でも愛されているからです。

神の子にはどんな苦しみもあり得ません。

そして、あなたはまさしくその神の子であり、
それがあなたの「真の自己」なのです。


〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜 
リンプ


参考書籍

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