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【再発掘・雑誌が伝える意外な人間模様⑩】貧民窟でシラミや南京虫とともに凍死した元宝塚ジェンヌ

こんにちは、ゆかりんこと、篠原由佳です。

昔の雑誌に掲載されている面白い話題や、気になった話題を
皆様にご紹介する読み物です。

いまやネットで検索すれば、大抵の情報が入ってくる時代ですが、
検索しても「出てこない」とか、「詳細が分からない」とか、
活字でしか残っていないような貴重なお話を深掘りしつつ、
皆様と共有できればというシリーズ。

今回は昭和36年、横浜の貧民窟で凍死した元宝塚ジェンヌのお話です。

(なお文中「ズカガール」と表記していますが、本来は宝塚なので「ヅカガール」とするべきだと思います。ですが雑誌過去記事内で「ズカガール」と書かれておりますので、ここでも「ズカガール」で統一表記いたします)

横浜の貧民窟で「元宝塚女優の行きだおれ」


1961年2月12日、冬真っ只中の早朝のことです。
寒空の下、女の浮浪者の変死体が転がっていました。

発見場所は横浜市中区花咲町4丁目。
当時は貧民窟として知られていた大岡川沿いの近くです。
警察によれば死因は凍死でした。

冬の貧民窟では凍死体は珍しくありません。

その頃の簡易宿泊所は1泊30円ほどでしたが、
それすら払えない最底辺の浮浪者たちは、
軒下で米俵やボロ切れにくるまりながら
夜空を仰ぎつつ眠っていたからです。

冒頭の女の浮浪者もその1人。
名前は高橋えい、享年52才でした。

えいさんの死をめぐっては、
浮浪者たちの間ではこんな言葉が飛び交っていました。

###引用開始###
「いい人だったが、とうとう宝塚女優も昇天したのか。それにしても芸能人は哀れだなあ。果ては栄養失調の凍死か。人気商売の末路なんて、こんなむなしいものかねえ」
『週刊現代』1961.3.12号(以下同)
###引用終了###

貧民窟では彼女が元宝塚女優だと信じられていたのです。

水上ホテルにはシラミや南京虫と垢まみれの毛布


そんな彼女が横浜に来たのは38才くらいの時、
戦後間もない1948年頃のことです。

それから3年後の夏、大岡川沿いの貧民窟にある
水上ホテルへフラッと1人で来たかと思いきや、
こんなことを言っていたそうです。

###引用開始###
「三年ほどある人に囲われていたけど、ポックリ死なれてね。今日から仲間に入れてもらいたいと思ってね」
とアカで汚れた毛布にゴロリと寝そべり、
「横浜も神戸と同じで海の匂いがたまらなくいいねぇ」
と言っていた女。それが高橋えいさんだった。
###引用終了###

水上ホテルとは、いわゆる簡易宿泊所。
他人の垢にまみれた毛布もさることながら、
シラミと南京虫が同居するブタ小屋同然の場所で、
乞食、モク拾い、一晩50円の売春婦が住む吹き溜まりです。

横浜に来て、初めの3年は誰かの内縁の妻だったものの、
その後は行くあてがなく貧民窟へ来たのでしょう。


「ズカ婆さん」は浮浪者たちの女王格に


えいさんは水上ホテルに来て3日目、
重大な秘密を周囲に打ち明けます。

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