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海の見える街 (あとがき)


実に18年振りの
1つの作品を完結させるという
約2ヶ月間の旅でした。

このように、
インターネット上に自分の書いたものを
ポストするのは今回が初めてです。

どうも、はじめまして。
理生です。

いろんな名前で、
撮った写真をポストしていたり
過去にはシンガーソングライターもどきでもありました。

演劇を通して表現というものに
高校生の頃から携わってきたaround40です。

プロフィールにも書いてあるとおり
私にとって書くことを含み
表現をする(表に出す)ことは"消化"です。


海の見える街 というタイトルと大筋の設定は
17歳の頃からずっと頭の片隅に残していたものでした。
今回、かっこよく言うと長年温めたものを
書き切る事によって感じたことが一つだけ。

物語には
やがて終わりが訪れます。
その終わりの善し悪しは
何で決まると、みなさんは考えるでしょうか?

私たち人間は
簡単に
「上手くいきますように」
「成功しますように」
「幸せでありますように」
と願います。

気休めにしたって、
私には他力本願すぎて
とても言えそうにありません。

ハッピーエンドに
初めから設定されているスタートは
この世界にほんのわずかしかなくて
この世のほとんどのスタートは
ゴールが未設定だと考えています。
どれだけいい条件が揃っていたところで
それは崩すことが可能だろうと。
逆も然り。

では、その逆に考えて。

どれだけ条件が揃っていなかったとしても
その先は変えていくことが出来る。

ハッピーエンド用じゃなかったレールを
ハッピーエンド用にいかに自力で模造していくか。
もちろんヒントを貰ったり、手助けして貰ったりもあるでしょう。
その数は多いほど分岐は増えるので、選択肢は豊かになると思います。
でも、それを選ぶのが確実に自分でなければならない。
そう思います。

自分が選ぶこと
それは、言い逃れのできない責任です。
誰にも決められない。
同時に誰のせいにも出来ない。
そこに尻込みして前に進めない人を
私は今までの人生で沢山見てきました。
逆に責任を軽んじて、どんどん前に進んでいくだけでも成立はしません。
これは私の経験談です。笑

その責任をしっかり自分で持つための
自信であったり、
気持ちの余裕であったり、
そういうものが欲しい私自身が
私の中にいる様々な自分の声を三分にして
セリフとして吐かせたのが
この、海が見える街 です。

なにもちゃんと出来ない。
どれもちゃんとしてない。
片付けても片付けてもすぐに出現するゴミの中に立ちすくんでいるような毎日に
どうすればいいかわからない、
そんな気持ちの中でも
時間がかかっても、逃げても、狡をしてもいいから
どうか、そんな人が自分で選ぶことを
自分で掴むものを探すほんの些細なきっかけに
もしもなったなら、嬉しいなと思います。

私もまた、それを探す旅に出ます。


果てしなくあるようで
いつ終わるかも分からない
大切な時間の中で
見てくださってありがとうございました。

また、どこかで。


理生

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