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次男が2つの病気を持って生まれた日

次男は心臓病と染色体異常をもって生まれてきました。
先日無事に18歳を迎えた彼の今までの生い立ちは、下の記事に概要がまとめてあります。

私がこの記事を書く意味は2つです。

■ 私達家族の記録として残しておきたい
■ 心臓病を持って生まれた子の親御さんの気持ちの支えになりたい

2つめの理由は、おこがましいかもしれませんが、
私自身が本やブログで心臓病の子を持つ先輩方の情報に助けられ、励まされたからです。

今記事を書くことで、その恩返しをできればと思った次第です。
生まれた時から、手術の時のこと、普段の通院、国や自治体の補助などについて、何本かに分けて記事を書いていきます。

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誕生

2003年7月。
蒸し暑い夏の日夕方、次男が産声を上げました。

妻が次男の誕生を歓迎するように抱きかかえ、しばらくして新生児用のベッドで検査が始まりました。
分娩室に2歳になる長男を招き入れ、ともに彼の誕生を歓迎しました。

処置と検査を終えた先生は少し怪訝な顔をして、
「ちょっと心臓の雑音が気になるので、こども病院に連絡しデータを見てもらいます」との事。

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長男が前もって決めていた次男の名前を呼びかけたりして、和気あいあいとした雰囲気の分娩室で、15分ほど待ったでしょうか。

先生が戻ってこられ、私たちに告げました。

「こども病院から精密検査をしたほうが良いとの事で、今から救急車が来ます。お父さんはこども病院まで行けますか?」

胸がざわつきました。
妻は不安そうな顔で私を見つめます。

先生はまだ次男がどういう状況かは検査してみないとわからない、と言うことで落ち着いて病院へ向かうよう私に告げました。

保育器で救急車搬送

数分後に救急車が迎えに来て、産まれたばかりの次男は保育器に入れられて救急車に乗せられました。

なぜ一緒に付き添い乗車できなかったのか理由は覚えてませんが、自分の車でこども病院へ向かうよう言われました。

産まれたばかりの赤ちゃんを連れ去られた妻は分娩台に座ったまま、ぽろぽろ涙を流して泣いていました。
私は妻の手を握り、彼女の涙を拭ってキスをして「ちょっと行ってくるね」と車へ向かいました。

救急車が出発した後からついていきました。
救急車は緊急走行のため同じ速度では走れず、信号も守らないといけないので、救急車はあっという間に見えなくなりました。
予め場所を教えてもらったこども病院へ向かいます。

病院に到着して家族待合室へ通されました。
看護師さんが精密検査をするのでここで待ってて下さい、と言われてから永遠に感じる時間を過ごしました。

検査結果:ファロー四徴症(しちょうしょう)

明るいうちに病院へ着き、気がつけば外はもう真っ暗でした。
何時間経ったか覚えていません。

ようやく検査が終わり、先生が説明に来ました。

まず、病名はファロー四徴症と告げられます。
全くピンと来ません。聞いたこともないです。

先生は心臓の絵が描かれた紙を取り出し、鉛筆で書き加えながら説明をして下さいました。

ファローという医師が発見した、4つの特徴を持つ生まれつきの心臓の病気(先天性心疾患)でした。

1.肺動脈狭窄
2.左心室肥大
3.大動脈騎乗
4.心室中隔欠損


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引用元:社会福祉法人恩賜財団済生会

それぞれの詳細は専門サイトに任せるとして、どのような症状が出るのか。

最も顕著なのはチアノーゼです。
動脈に酸素を失った黒っぽい血液が流れるため、血中酸素濃度が低くなり、手足の先や唇、目の周りが青紫色に見えます。

血中酸素濃度は正常値が100だとすると、次男は80台だそうです。
激しく泣いたりするとさらに低下し、無酸素発作が起きたりして危険とのこと。

生命維持のためには酸素ボンベが必要で、常に鼻や口からチューブで酸素を送る必要がある。

寿命は手術をしなければ20歳までは生きられないだろうと言われました。
これはショック過ぎて、その場で話を聞きながら泣いてしまいました。

ただ、その病院でも非常に多くの手術に成功している、とも励ましてもらいました。

検査結果:染色体異常

先生はもう一つ、病気があるとも続けられます。
22q11.2欠失症候群です。

こちらも全く耳なれず、聞いても何のことかさっぱりです。
染色体異常の1つで、細胞の中にある染色体の22番目の一部が欠けているという説明でした。

症状として

・知能発達の遅れ
・顔つきに特徴が出る
・口唇裂や口蓋裂が出ることもある

などがあります。
ファロー四徴症との併発例が多いとの事でした。

彼が産まれた当時は、比較的新しくわかった染色体異常で、まだ十分に研究されておらず、この先どういう症状が起こるかわからない、とも言われました。

ただ、ハッキリしているのは現代医学では染色体異常が治せない、ということだけでした。

妻への報告

先生の説明が終わり、検査後の処置が終われば次男に会える、というので再び誰もいない待合室での待ち時間となりました。

涙が次から次へと溢れ出てきて、声をあげて泣きました。
まぶたを開けても目の前が真っ暗でした。

何故うちの子だけがこんな目に遭わなければならないのか。

自分がタバコを吸っているからなのか、などいずれの病気も原因は不明だと先生に言われたのに、日頃の行いに非があったのでは、とあれこれ振り返っては自分を呪いました。

しかし産婦人科では妻が待っています。
気を取り直して電話で先生に言われた内容を報告しました。

妻は涙声にはなりましたが、気丈にも私の説明を聞き、電話の向こうで相槌を打っていました。

電話が終わったら全身の力が抜け、待合室のソファに崩れ落ちました。
ひたすら横になったまま、静かに涙を流し続けました。

次男との再会

数時間後、看護師さんが面会の許可を告げてくれました。
新生児集中治療室(NICU)へ案内され、白衣と帽子を身につけ、手指を消毒してから中へ。

数時間ぶりに次男に会えました。
保育器の中ですやすや眠っていました。
また涙で視界が歪みます。

こんなに小さな赤ん坊が、心臓と全身の細胞に病気を抱えて生まれ出て、今は何事もないように眠っている事に、可哀想なんだか、尊さを感じたのか、当時の感情は覚えていません。

触れる事はできないので、ただ次男を見守り、看護師さんの説明をいろいろ聞きました。
ミルクや母乳、オムツなど、必要なものをメモして、これから妻が退院するまでの数日は、私が毎日病院にくる事にしました。

面会の30分があっという間に過ぎ、車へ戻り、妻に電話しました。
一度産婦人科へ戻ると告げると「とにかく安全運転で帰ってきて」とだけ優しく言ってくれました。

いつも以上に安全運転しましたが、次男のことを考えるたびに涙が出てきて視界がボヤけました。
危ないので途中何度も路肩に車を止めて、涙を拭きながら走りました。

奇跡の出会い

深夜23時を過ぎて、産婦人科に着いて妻の個室へ。
本来なら産まれたばかりの次男のベッドがあったはず。
部屋がやけに広く感じます。

ベッドに座っていた妻と抱き合って、しばらく二人で泣きました。
彼女の背中をさすりながら「誰も悪くないんだって」という事だけ伝えるけど、ここに次男がいないことがどうにも寂しく、悲しくなりました。

妻は体を震わせるほど泣いてしまい、次男が「かわいそうかわいそう」と繰り返していました。

今夜このまま彼女を一人にはできない、と思い、産婦人科のスタッフさんにお願いして、付き添いで泊まらせてもらう事にしました。

その後少し気持ちが落ち着いてから、何となくテレビをつけました。
偶然にもさきほど行った、こども病院の特集番組が放送されていました。

しかも心臓病の手術がテーマでした。
「ここだよ!ここ!さっき行った病院!」
二人とも食い入るように番組を観ました。

神の手と呼ばれる程の腕を持った先生がいるというのです。
ヘッドルーペを装着し、親指の先ほどの、赤ちゃんの小さな心臓を切り開いて手術している映像も流れました。
年間300例の心臓外科手術を執刀され、ほぼ失敗がないと言います。

「あの子もこの病院ならきっと助けてもらえるよ!」

二人はその番組で、希望の光を授かりました。
今でもあの番組は運命的だったね、と妻と語りぐさになっています。

出産で疲れ切った妻と、こども病院から泣き通しだった私は、この番組のおかげで気を取り直し、眠りにつくことができました。

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