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悔しくて。悲しくて。



『空気を読む。』

日本人に搭載されし高度な技術。
修得は極めて高度だが、
持っていない者は、

「コイツまじKYじゃん」

と揶揄されてしまう、
日本人には必修の技術。


あなたは、何才からできるようになった?
中学生?高校生?
それとも社会に出てから?








小学4年生の、国語の授業。

先生が、10枚の写真を
黒板に1枚ずつ貼っていき
生徒はその中から、
それぞれ気になった1枚を選び、
自分が選んだ写真に自分なりの
タイトルを付けるといったような内容だった。

10枚の写真すべてはもちろん覚えていないが、
明確に覚えている2枚の写真がある。
まったく同じものではないが、
僕の記憶となるべく近い写真を選んだので、
それぞれ貼っていく。

そのうちのひとつは、
10枚中1枚目だった写真。

僕はこの写真を見た瞬間、
「これだ!」と思った。
瞬く間に、僕の脳内では
逆光によって影になった人々を
主役とするストーリーの
上映会が始まった。
帰り道だろうか。恋人だろうか。
想像はどんどんと膨れ上がってきて、
このストーリーをエンディングまで見終わった時、
僕はいったいどんなタイトルを付けるのか
脳内上映中から楽しみで仕方なかった。


もう1枚は、
10枚のうち最後に出てきた1枚。

この写真を先生が黒板に貼った時、
教室の女子の何人かから
「かわいい〜」という声が聞こえた。
クラスも少し和やかな空気になった。


ほどなくして、
気になった写真を1枚
選びましょうということになった。

1枚目の写真から順に手を挙げていく。

「最初の写真がいいなと思った人。」

僕は迷わず真っ直ぐに手を挙げた。

「2番目の写真が〜」

先生は続ける。

そして最後の1枚へ。

驚くことに、
なんと僕以外の全員が、
最後の写真に挙手をしたのだ。

僕はいったいぜんたい、
なにが起きたのかわからなかった。
パニックだった。

10枚もある写真から、
30人もいるクラスのうち、
29人が同じ写真を選んだのだ。

もちろん、偶然僕以外全員の感性が
まったくといって良いほど
似かよっていて、
という可能性もありえなくはない。
もう一度考えた。
ありえない。

なぜなら、

10枚もある写真から、
30人もいるクラスのうち、
29人が同じ写真を選んだのだ。


先生は、選んだ写真ごとにグループを作って、
みんなで相談してタイトルを付けるという
算段だったようだが、
あまりにもトリッキー過ぎるこの展開に、
急遽個人戦でタイトルを付ける運びになった。

なぜなら、



10枚もある写真から、


30人もいるクラスのうち、

29人が同じ写真を選んだのだ。



僕はまったく意味がわからなかった。
そこから先は、
なぜかずっと、悔しくて悲しかった。

タイトル発表も、
もちろん僕がトップバッター。
そりゃそうだ。

なぜなら、

10枚もある写真から(以下略

僕の脳内を駆け巡った
あの男女のストーリーは、
あんなにも素敵で心湧き躍った
あの男女のストーリーは、
この教室では所詮、
オープニングアクトでしかなかった。

そしてお待たせしましたと言わんばかりの
長い長い本編が始まった。
みんな相談でもしたかのような
似通ったタイトル。そりゃそうだ。
29人もいるのだから。

『空気を読む。』が
教室に充満していることを
初めて実感した瞬間だった。

その帰り道の夕焼けは、
いつもよりずいぶんと、眩しかった。




もしもタイムマシンに乗って、
25年前の、あの帰り道の、
小林少年に会えるとしたら、
肩を強く抱いて、

「最高のタイトルやったな!
どんなストーリーか教えてくれや!」


と声をかけたい。






きっと僕のことだから、
すぐに通報するだろうけど。





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