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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#47 G.G.佐藤編

G.G.佐藤/佐藤隆彦(じーじーさとう)

捕手・内野手・外野手 右投げ・右打ち 1978年8月9日生まれ
ライオンズ在籍:2004~11年
通算成績:試合 打数 安打 打率.276 88本塁打 270打点
背番号:46(04~11年)
当日所属:TEAM LIONS

中学時代は、野村克也の妻・沙知代がオーナーだったリトルシニアの「港東ムース」でプレー。桐蔭学園高の3年時には、3番ファーストでキャプテンを務めた。法政大に進学してからは「ウエイト・トレーニングばかりやっていた」と言い、東京六大学のリーグ戦では4年間通算で打率.246、1本塁打。ポジションは内野手だったが、定位置を獲得したシーズンはなし。当時のレギュラーは、現在ライオンズ内野守備・走塁コーチの阿部真宏だった。

大学卒業後、MLBフィリーズが日本で開催した入団テストを受けると、その強肩を見込まれ「捕手でなら契約してもいい」と、145人の参加者のなか、唯一の合格者となる。最初の2年間は、新人選手を対象としたフィリーズ傘下の1Aのチームでプレー。週給20ドルからのスタートで、オフシーズンには現地でアルバイトをして食いつないだ。

渡米3年目は1A「レイクウッド・ブルークローズ」で96試合に出場、所属リーグのオールスターゲームにも選ばれるが、シーズン終了後に契約終了。帰国後に知人のツテをたどって、個人的なライオンズの入団テストを受けると、その様子を、翌シーズンからの新監督就任が決まっていた伊東勤が直接視察。獲得を即決したことから、その年のドラフト会議で7巡目指名される。

本名は隆彦。米マイナー時代に使い始めた登録名の「G.G.」は、「港東ムース」の入団初日に「ジジくさいわね。もっとシャキっとしろ」と、野村沙知代に怒鳴られたことから、付いたあだ名の「ジジ」に由来するそうだ。(https://www.youtube.com/watch?v=eMjC2g_Jh1g

キャンプが始まってすぐに捕手は失格。それでもオープン戦の初戦でいきなり、広島カープの大竹寛からホームランを打った長打力が買われて開幕1軍入り。シーズン45試合に出場して、3本塁打。代打に限ると20打数7安打、打率.350の好成績を残す。 

2年目はイースタンでチームトップの13本塁打。外野手に転向した3年目は初の開幕スタメンと、少しずつステップアップ。入団4年目の07年には、開幕からライトのポジションをつかみ、カブレラを上回るペースでホームランを打ち、3割前後の打率をキープする。

7番で始まった打順は次第に中軸を打つようになり、7月に  カブレラが欠場したときは、中島裕之、和田一浩を脇に置き、4番打者を任された。

このシーズン136試合に出場して、規定打席に初めて到達。チーム2位の25本塁打をマークする。「キモティー」「愛の波動砲」などのフレーズで、ファンを湧かせる陽気さと、打席に入るたび、バットを地面と平行にして、スタンス、ステップ幅など、ひとつひとつ時間をかけて確認する繊細さが、同居していた。

翌08年は、球団史上3人目となる開幕戦からの3試合連続本塁打、5月には打率.389、35安打、9本塁打、23打点、4部門すべてトップで月間MVPを獲得する充実ぶり。オールスターのファン投票では36万7837票を集め、ライオンズの選手では91年清原和博以来17年ぶりの12球団最多得票を獲得する。

ライオンズ オールスターファン投票  最多得票選手

こうした大活躍が認められ、追加候補選手から北京五輪日本代表のメンバーに選ばれる。が、準決勝の韓国戦、3位決定アメリカ戦のレフトの守りで、いわゆる「世紀の落球」を犯して、一転大バッシングを浴びることに。

帰国後初めて出場した試合で、最初のライトフライをキャッチすると、西武ドームは大歓声。(おそらくは)ライオンズファンに感謝の気持ちを伝えようと「所沢の空が北京の空に見えました」とコメントして、「まだネタにするのは早えーよ」「反省してねーだろ」と、世間の総ツッコミをくらった。

このシーズンの終盤に左足首を疲労骨折したが、後遺症は感じさせず、翌年もキャリア最多の83打点と、主力打者として完全に定着する。続く10年もオープン戦で首位打者、開幕直後の3月30日から4試合連続本塁打と、最高のスタートを切ったのだが、シーズンが進むにつれ、打率1割台に低迷、約3ヶ月ホームランは不発。7月1日の出場を最後に、登録抹消となる。

ファームでは打率3割台、12本塁打したが、再び1軍登録されることはなく。翌年も1年間ずっと2軍暮らしが続き、自由契約となる。

それでも「まだ野球を続けたい」とイタリアに渡って、プロ野球チーム「ボローニャ」でプレーする。帰国後はライオンズ時代の恩師である伊東監督に誘われる形で、千葉ロッテマリーンズにテスト入団。2シーズンを過ごしたあとは、父親が経営する会社で働きながら(現在は退社)、野球解説、SNS発信など、さまざまな活動を行っている。

先日、福岡県の社会人野球チーム「GENESIS FUKUOKA」の「下剋上コーチ」に就任することが発表された。

今回の「LEGEND GAME 2024」では、久々の「キモティ―」が、ベルーナドームに響くだろうか…。

G.G.佐藤 年度別成績

主なタイトルなど
  オールスター出場 (08年)

「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」
3月16日(土)12:00開場/14:00試合開始
会場:ベルーナドーム
配信:パーソル パ・リーグTV
放送:BS朝日(翌日録画放送)

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