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文学、年の瀬に。

 久々に。
 久々に、X以外の場所へ随筆を残してみようと思う。

 今年一年は、昨年に引き続いて色々あった。
 テセウスの運動朝活をやり通した。業深少年旅行の二部も完結した。物理で映画も観た。年末にはPMへの昇進もあった。色恋沙汰だけは一切ない。
 総じて、俺という刃が研ぎ澄まされてゆく年だった。

 順番に見ていこう。

テセウスの運動朝活


 前身となるイベントは12/19からであったが、名義の変更後は元日から始動している。
 文字通り、365日。08:05から08:20まで、ノンストップで駆け抜けた。
 7月頃に事故りかけたが、走り切ってしまったので良しとする。
 スタッフのNikeさん、参加者の方々には頭が上がらない。この場を借りて、礼を。

 イベントの動機は、ただ私の運動習慣を継続したかったためだ。
 そういう意味では、Questマッチョ部やバーチャル沖縄、Questラジオ体操部、くれ運、VRC腰痛予防部、LPKと踊ろう会(抜けてたら随時追記)にも多大な影響を受けている。彼らなくして、今の私は成り立たない。
 それと、宣伝の場を作って頂けるともつく集会も言及したい。あと、土曜朝ゲーム部、にりらみすきー部……。

 予想以上に、多くの人やグループに影響を受けている。もしかしたら影響を与えてもいるだろうか。
 テセ活を期に何かしらの形で運動を続けるとか、あるいは生活にハリが出たとか、そういう影響があれば、私は嬉しい。

小説

 さて、実際のところ、この記事はそういうイイ話を狙って書かれたわけではない。
 暫くなおざりにしていた、心の奥底から湧き上がるドロドロとしたエッセイを形にしたいのである。

 業深少年旅行は第二部を公開した。
 第一部を書いていた俺には、多少の(非実在を範囲とした)少年趣味があったと自覚している。
 概ねPSO2に性癖をぶっ壊されたのが尾を引いているのだが、第二部を書き上げる頃になると、事情が変わってくる。

 今の私は、いわゆるノーマルに戻っている。

 少年や男の娘がダメになったわけではないが、以前よりも惹かれる対象がフェミニン寄りになっている。
 実際業深少年旅行の二部を見ても、パーティメンバーが逆ハーレムからハーレムと化している。彼女らの内面はどうあれ、形式としてはそうなった。

 何故そうなったのかについて、考えることもある。
 社会で揉まれるうちに、俺の中の風変わりな部分が削ぎ落とされていったんじゃないか。というのが、暫定の結論である。

 考え方もマニッシュ寄りになったかもしれない。
 かつての私も常々危惧していたことだが、「メンタルマンが回復しきった後は他のメンタルマンの敵になる」とはよく言われることだ。
 一旦しっかりと復活してしまえば、生存バイアスが働く。
 特に、私は筋金入りのメンタルマンだった。二年続けて社会生活を送れた年が、今この瞬間以外に存在しない程度には。
 Twilogにも痕跡が残っているはずだ。今たどるのはおすすめしない。極端に振り切った政治思想が表に出ていて、我ながら見ていてキツい。
 まあ、今現在については、下手に誰かに絡まないだけ奥ゆかしく立ち回れているとは思う。

 ある界隈には、こういう格言がある。

 インターネットで議論をするくらいなら、外に出て野球をしろ。
 さもなくばテセ活に来い。

 話を戻す。

 第三部の構想自体はある。
 試験的に、一話を既に書き上げている。既に世界観作者にも見せた。
 とは言え、仕事も暫くは忙しいし、ゲームも作りたい。
 やりたいこと全部やったら、来年には完成しないかもな。

手段としての趣味

 映画のことだ。
 私がある程度メンタルマンを卒業したとはいえ、通院自体はいつまでも必要だ。
 オーガニックだと相当アッパー寄りに精神が傾くから、そこの補正は薬で調整することになっている。

 それで、その通院から帰ってきた後、父を連れ出して映画を見に行くことになった。
 関係は、昔と比べれば幾分良好になった。少なくとも、俺の視点ではな。

 観たのは、ゴジラ-1.0だ。
 いい映画だった。
 感想戦も弾んだ。五年前じゃあ考えられないことだ。
 父と俺とでは、棲むクラスタが違う。
 当然年齢も違う。俺はシン・ゴジラからの記憶しかないが、父はもっと過去の記憶が、今の映画を見た体験と紐づいている。

 たまに突飛なことをやる人ではあるが。
 それでも、互いに一定の敬意を抱いていると思っていいんじゃないか、とは感じるようになった次第だ。

 それはそうと、別の視点から映画について話してみる。
 実を言うと、私はクリエイター視点でゴジラを観察していた。
 ゴジマイは邦画のまずかったところを徹底的に研究し、置き換えるか精度を上げるかしているように思える。
 その結果として俺はあの映画に引き込まれたわけだから、その試みは完全に成功していそうだ。

 同時に、俺自身からただ単に映画を楽しむというやり方が抜け落ちているということを、浅ましく思ったりもする。
 あらゆる行動に、実益を求め始めている。
 例えば、ゲーム。
 アーマードコア6のような完成度が著しく高いゲームであれば、研究対象として細部を観察する。
 PSO2や黒い砂漠のようなリラックスしてやれるゲームであれば、神経を鎮めるために。あるいは放置コンテンツを壁紙として、別の作業の彩りに使ったりする。
 小説は言語化能力の向上に。あるいは、会話のシミュレーションに。
 テセ活はシステムの運用の勘を掴むために。かつ、健康の増進に。
 ゲーム作成はそれに用いるスキルもさることながら、システム開発自体のシミュレーションとして。

 Xでは常々「趣味を増やせ」と言っているが、これはメンタルの安定化以外にも、趣味の範囲を広げることで得られる経験値の種類を増やす意味合いも出てきている。

 もっとも、そんな遊び方をしていては味気ないと感じる心も、私の中にはある。
 今の俺は、何もかもがストイックなのかもしれない。
 だからこそ、仕事で唐突に昇進してしまったのかもしれないが……。

仕事

 プロジェクトマネージャに、なっちゃったんだなあ……。
 まあ会社の規模が規模なんで、言うほど忙しくはならないとは思う。

 社内で誰もやらない仕事の穴を埋めていたら、それがたまたまマネジメントに属する作業だった、というのが真相なのだが。
 結果として、貴重な年末の連休を何割か割いて、プロマネの勉強をする羽目になった。
 貰えるカネも増えるから、資料分はすぐに取り返せるのが救いではある。

 後は、引き抜かれかけたりもした。
 色々事実関係を探ったら、多分引き抜かれないほうが利益が大きいなとなったので、そこは冷静に判断した。

 いやしかし、プロマネ……。
 社内に適任が居ないっつったってよりによって俺かよ、が当初の感想である。
 そりゃあ、ゲームだってなんだって、どちらかと言えば管理側に回ることのほうが多い。何故かはわからないけれど。
 今度はゲームでなく、現実で管理をやることになったわけだが、とにかくプレッシャーがすごい。
 それでも俺はまだいい。俺視点で適性がないわけではないという納得がある。
 他の方が……本人視点でちゃんと納得行っているかは、早めに聞いたほうがいいかもしれないな。

 ……上手く行ったら昇給をねだってやる。仕事内容に見合うまでは。

恋愛

 壊滅している。
 彼女もお砂糖もナシだ。俺は恐ろしくストイックな世界に生きている。
 そういうわけで恋愛感情のようなものは今のところ懐いていないが、それでも脳裏に「◯◯とのハッピーエンド」がチラつくことがたまにある。
 人間とは、業が深いものである。

 いっそ全部奪って笑ってくれマイハニー。

 現状、まだ私は社会的にギリギリ下層民である。
 昇進したとは言ったが、誰かを養うには心もとない。
 出会いがないわけではないんだが、実際踏み出そうとなると、ある一つのデカめの事実が鎌首をもたげる。

 俺の持つ病気、多分に遺伝の影響があるのである。

 家系がな……。ウチの男系、大体俺と同じ特性持ってるもんな……。
 俺本人は流石に己の生を肯定できるようにはなってきたけれど、仮に息子が全く同じ病気を持ったとして、俺以上に荒れる可能性は十分あるわけで。
 それどころか、ギフトがあるかどうかも予想できないわけだから、これはまあ……俺よりもハードモードになったときがコトなのである。

 難しいものである。
 俺を末代にしたいわけではないが、末代になったほうが平和なのではないか、という見方である。

 世知辛い。

おわりに

 常日頃考えていることを、改めて文章化したにとどまった感じだ。
 恋愛とかやりたいけどな。俺自身のカルチャーとすり合わせしたときに、何が起こるか分からなくてな……。
 心のなかにうちの子を三十人程度飼っていて、俺自身に憑依させられるだとか、たまに声を聞いてアドバイスを貰うだとか、そういうカルチャーを伝えたら多分周りは引くよな。一人称がブレブレなのも、そのカルチャーから来ている。
 タルパの行進ザナドゥはいいぞ。

 夕飯終わってからひたすら書いたら、もう風呂の時間だ。
 こんな私で良ければ、今後とも観察してくれると助かるね。

 では、来年もよろしくお願いします。

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