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オリジナルの破片

自分の世界観について(今日こそは)短く書きます。個人的な呟きというか脳内を掃除中、という感じの文です。ぐだぐだです。自分らしさとは。


「オリジナル」という言葉があるが、あまり当てにしていない。そもそもこの世に「オリジナル」なものなど存在しないと思っているからだ。とは常々に思っているがクリエイターである以上、表現する際には使わずにいられない単語だ。わたしが日常生活で用いる「オリジナル」と言う表現は「独特。その人らしい、又はその人のものだ!とわかる道しるべ」という意味合いでゆるく使わせてもらっている。完璧なオリジナルのものでは決して無いが、小さな破片を持っているように思う。自分らしさという宝石になっているかもしれない破片を。

しかし世界にはごまんと似たような絵を描く人がいる。「自分らしさ」とはなんなのか。筆を持つ者なら誰もが一度は問う質問だ。質問というか呪いに近い。以前記事に書いたがわたしは似たような呪いにかかった事がある。

自分は決して自分らしい絵は描けない。現実では周りに「この絵を見るとリサが描いたってわかる」「リサっぽい絵だね〜!」とよく言われて(別にそんな事言われても、どうせ世の中にはもっと似たような絵を描く人がいる。どうせわたしだけじゃ無い…)と褒められたのに何故か拗ねていた。完璧にオリジナルになろうと踠いていた。オリジナルじゃないと宝石にはなれないと思い込んでいたのだ。若かった。時間をかけて様々な情報を集め漫画もデザインも創作も色んな世界を合間に見て、「自分は自分。それは変わらない。」とみな口を揃えて言っていたにも関わらず。そしてわたしはあることに気が付いた。誰もオリジナルになれないのなら最初からオリジナルというものは存在しないのではないか。無いものを求めてもしょうがない。意味がいないのではないか。でも無いから求めてしまう。エンドレスループだ。自分はどうすればいいか悩みに悩んだ。

そしてわたしは宝石になることを目指すのは辞めて、せめて破片になれるよう想うことにした。空上にある理想の形より、目の前にある自分の感性の方が大事だ。小さな自分の世界。小さいけど、誰より何よりも愛しいもの。

時は過ぎ大学に入り、さらに自分をもっと極めてくれる先生に会い、わたしは「自分らしさ」の大切さを学んだ。それをどう広げるかも。昔は自分の世界を徐々に広げて面積が増えるたび周りの人が気がついて足を止めるようなイメージで考えていた。今では、自分の世界のサイズはそのままにして、のぞき穴を設けたイメージにしている。のぞき穴に目を通したものだけが、わたしの小さな愛しき世界を見れるのだ。そういう感じが自分には合っている。前者のようなイメージを通してノウハウを説明できるのが向いている者もいるがそうでない自分もいる。今回だって本当のこというと「自分らしいの世界観の作り方」みたいなノウハウ的な感じを目指して書くはずだったのに、結局はそうならなかった。やはり向いていない。いつも通り自分のモヤモヤしていることをキーボードに打ってどうにか言語化できないかと悪戦苦闘している。

ともかく自分は宝石になるより破片の方が腑に落ちると実感した。欠片ではなく破片に。元々綺麗なだったものから離れただけの欠片ではつまらない。壊れてしまった何かから落ちた破片だからこそ美しい。そう思える自分の感性を大事にすることにしたのだ。

絵を描く際には自分の感性を筆頭に脳内を覗くと何があるのかイメージをする。例えばお題が林檎だとする。本来なら赤くて少し黄色と緑が混じった、ぶつぶつ柄の、てっぺんの凹みに小さな葉のついた、影のある丸い物体を描くだろう。しかし自分にとっての林檎のイメージといえば何か考えてみよう。直感でいくつか思い浮かぶ。アダムとイヴの禁断な林檎的なもの。それなら泥沼のようにみじん切りにした、どろどろの何かを描こうか。他には大好物の四角い形の林檎ジャムの、あの蜂蜜が混ざった甘い匂いを描こうか。アメリカならではの青いすっぱい三日月型の林檎にピーナッツバターをかけて食べるあの塩っぽいけど懐かしい感じのものを表現しようか。などと延々と案を思い浮かべる。他に人が思い浮かべる林檎ではなく、自分の中の林檎を。そしてその中から一つ自分が最も線が引きたくなるようなものを選んで描く。そういう風にしている。これがわたしの、わたしらしい、世界に繋がる。

noteを書く時だってそうだ。この前描いた「ヤマモモと紫陽花」だって、本当は「わたしが絵を描くことになったきっかけ」というタイトルにするつもりだった。でも、やっぱりちょっと何かが違う気がする。しっくり来ない。他の記事だって流行りのラノベタイトルのように説明文風のタイトルにした方が他者に分かりやすいのはわかっている。でもやっぱり他の言葉じゃ駄目なんだ。思い入れのある木に登って一番つまみ食いをした、母に渡そうと思ってジャムにもしたことがあるヤマモモと、室内から絵を描く自分の目の先にいつも広がっていた鮮やかな紫陽花の壁。その情景を原動に描いたのだ。二ページ目に現れた宇宙のことも考えて宇宙関係の単語を入れることも考えたし、そっちの方がお洒落だと思った。でもやっぱり、一番線を引く理由になったのはこの二つだった。だからタイトルにした。キャプションも、「絵を描くきっかけ」にしようと思ったが、その本質の思いとなった「寂しさから楽しさに変わった時」にした。周りの意見に流されず、自分の心に忠実に、短い言葉に心を込める。そうやって自分の小さな愛しい世界を守っている。これがわたしらしさだ。

結局自分は宝石にはなれなかった。でももういい。今となってはなるもつもりもない。しかし小さな破片にはなった。美しい破片。それがたくさん集まればさらに輝くだろう。少なくとも自分はそう思う。そう感じる自分の気持ちを大事にする。そしてわたしは今日も破片を探し続けて集めている。


と、やはり思ったより長く書いてしまいました。文って難しいですね。まとめるって大変。本当に難しい。書いているうちに何がなんだがわからなくなっていく。文を書く人の苦悩の片端を見た気分です。でも普段使わない片方の脳の良い刺激になった。世界観についてはもっと詳しく書きたいです。とりあえず今日はここまで。ちなみに一番好きな宝石はアメジストです。



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