合わせ鏡

真夜中に合わせ鏡をすると、自分の将来が見える、という噂を聞いた。
子どもだったから、せいぜい大人になったときの姿でも見えるのだろう、くらいに思っていたのだが、同級生たちはみな、死後の世界が見えるといって騒いでいた。それって将来でもなんでもないじゃん。ケイゴはばかばかしくなり、授業のチャイムが鳴ってもまだ騒がしい集団に背を向ける。
「だんだん歳をとっていくらしいよ。結婚相手とか死んだときの顔とかも見えるんだって。なんか見てみたくない?」
「べつに」
トモミがいつもよりもたくさんしゃべるのを聞いて、ああ、こいつも女子なんだなという感想だけが頭に浮かぶ。

とはいえ、ケイゴも興味がないわけではなかった。
歳をとったときの顔はどうなんだろう。誰かに似ていたりするんだろうか。
父さんとか。
ケイゴの父はケイゴが小さいときにいなくなってしまった。理由は知らない。知りたいと思うときもあるけれど、母はなにも教えてくれなかった。なんかあったんだろうな。そう思って、それ以上はいつも聞けずにいた。

「夜中に合わせ鏡を見ると将来の姿が見えるんだって」
夕食をとりながら、母と今日あったことを話す。二人ぐらしのこの家では、今日あったことの報告は必ずすることのうちに数えられている。
「なにそれ、お嫁さんでも出てくるの?」
「それはどうか知らないけれど、みんなそうやって騒いでた。なんかバカっぽい」
ケイゴはご飯を口いっぱいにほおばる。
「母さんもそういうの聞いたよ。でも嘘だった」
「うそ!」
「嘘に決まってるじゃんそんなの。夜中に起きてるもんだから、ばあばにものすごい叱られて、あーあって思った」
そりゃそうだよな、とケイゴは思う。そんな簡単に行くわけないし、だいたいそんなのが本当だったら大変だ。
「あんたは信じてんの?」
「そんなに」
ごちそうさま、と母は立ち上がり、食器を片づける。そんなに、ってことは少しは信じてるんだ。
「大人になったときの顔はみたいかな」
ケイゴがそう続けると母は、まあやってみればいいんじゃない、と言う。
「きっと父さんの顔に似た大人が出てくるよ」

夜中。ケイゴは目覚ましをかけたわけでもないのに目が覚めた。夕食の時に母が言ったことを思い出す。どうしてそういうふうに思ったのかは聞けなかった。
洗面台まで音を立てないようにして行く。明かりがないけれど、だいたいの配置は覚えているから足をぶつけることはないはずだ。夜中にトイレに行くのも慣れてるし。
洗面台まで来たケイゴは電気をつけ、母が使っている手鏡を探す。なにかあっても、なにもなくても誰にもなにも言わない。
本気で将来が見えるなんて思っているわけでもないけれど、父さんの顔がわかるならそのほうが。
手鏡を洗面台の鏡に向け、それに自分の顔が映るように角度を調節する。心臓の音が洗面所に響くのがわかる。
「死んだときの顔も見えるんだって」
トモミの言葉を思い出す。父さんはどうしていなくなったんだろうか。死んだのだとして、父さんの死んだときがわかったりするんだろうか。
目をつむる。呼吸を整えて、せーの、と合図をして目を開けた。


なにもかわらない、眠そうな顔の自分が映っているだけだった。


「あんたなにやってんのこんな夜中に」
声をかけられて、ひっ、と反応するとそのままその場で動けなくなってしまった。

「本当にやってみたんだ」
「だって気になるじゃん、父さんの顔」
いちばん小さな明かりだけつけて、食卓に二人で座る。母はコーヒーのはいったコップを持っていた。ケイゴは「なんか飲む?」と聞かれたけれど、夜中だからいい、と返した。
「あんたが小さいときに、海外に行っちゃったんだよ」
「生きてるの?」
「いちおうね。海外の貧しい人を助けに行くって。父さんらしいなって思うんだけど、いつになったら戻ってくるんだか」
明日仕事から帰ってきたら写真見せてあげるよ、と母が言うので、ケイゴはなんとなくお願いした。もしかしたら嘘ついてるんじゃないかと思う自分がなんだか嫌だった。
「だいたいそんなんで将来見えたらつまんないじゃん。努力しなくなるよ」
それもそうか、と納得しかけた。だいいち、と言葉が続く。
「あんた、母さん似だからそんなことしたって老けた母さんが出てくるだけだよ」
なんだそれ。ケイゴは声に出る。そのまま、ふふふ、と笑う。
「寝ましょう。明日も学校でしょ。居眠りしても知らないよ」
「母さん」
ケイゴは母のほうをきちんと向く。真顔になる。母も意味がわかったようで真顔になる。
右手をあげる。左手をあげる。左手を下げる。右手を振る。
二人で同じ動きになる。にっこり笑う。
「将来の姿」
「まあね。がんばんな」
なにをどうがんばるのかよくわからないけれど、なっとくは出来たような気がする。ケイゴはあくびをひとつすると、自分の部屋に向かう。
ちょっと安心した。そうつぶやいたのだけど、母に聞こえたかどうかは知らない。


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