ビフォーアフター/急性形態変性症候群・11

 10cmほどの太さの木が敷地の中程に生えていた。夏の盛りだが葉はそれほど茂っておらず、背伸びをしたように幹をしならせて空に向かって枝を伸ばそうとしているようにも見えた。
 クライアントはこの木をそのままにして家を改築してほしいと言う。
「間取りを考えたらこれ、切っちゃったほうが良くないですか。それか移植するか。移植でも根は多少切っちゃうことになるかと思いますけど」
 中庭のようにして建てることもできなくはないが、おそらくは狭い部屋しか作れない気がして提案する。だがそれはできないと即答された。
「絶対にこの木を傷つけないでほしいんです」
 クライアントは木の肌を愛おしむように撫でる。そんなに思い入れのある木なら尚更移植したほうがいいような気もするが、それは頑として聞き入れようとはしなかった。
「なんかあるんですか、この」
「弟なんです。これ。ある日突然この木になってしまいました」

 ある日突然、ヒトの身体が別のものになってしまうという現象が見られるようになってからずいぶん経つ。原因は未だわからないが、身近な人が発症したとパニックになる人も当初から比べると数は減り、今ではもうしかたのないことと受け入れることが多くなってきた。
 変化してできたものも一定ではなく、ただ、目の前にある木のように変化してもなお生きているとわかるものは少なかった。
 自分が今まで目にしたものは「さっさと処分してほしい」というものがほとんどで、絶対に傷をつけないでほしいと要望が出ることはなかった。
 目の前にある木はクライアントの弟さんで、この状態で生きながらえている。聞けばこうなってから数年経っているのだそうだ。
 横倒しになっている彼をそのままにしておくわけにもいかず、家屋に立てかけるようにしておいたらいつの間にか根を張ったのだそうだ。そんなこともあるのか。他のどの木とも違う彼は、冬にも葉を落とさず、夏は風に揺れた。
 家族も突然彼の姿が変わってしまったことに驚きと悲しみを隠せなかったが、根を張り、空へ高く伸びていく様に気づくとこのままの姿だったとしてもともに生きていくことを決めたのだという。
「少しでも弟が快適に過ごせたらと思って」

 周りを囲ったり中庭のようにしてしまえばいいのだが、それは窮屈そう、とクライアントは言う。かと言って風雨に晒され続けるのもかわいそうではあるし、敷地にも限りがある。
「三方を囲うように家屋を建て、天候に応じて雨戸のように空いている部分を閉めて中庭のようにする、というのなら現実的ですかね。もちろん、その都度開け閉めの手間は生じますが」
 ふと思い立ってさらさらとスケッチを描いて見せたところ、クライアントや家族はいたく気に入ったようで、そのままその形を取り込むことになった。

 工事中は皆ーー家族だけではなく工事関係者もーー彼に気を遣い「ちょっとうるさくしますよ」「今日も暑いっすねえ」などと声をかけながら作業をした。見た目は木だったが、その家の家族には違いなかった。当初は屋根よりも低いと思っていた高さも、引き渡しの頃には屋根と高さを並べるようになったように見えた。

「では写真を撮りますね」
 引き渡し当日。記念写真を撮ることにしていたので、カメラを庭にセットするとクライアントと家族を促した。彼らは自然ともう一人の家族である彼の周りに立った。木には彼が好きだという色の布が巻かれていた。
 記念写真だからおしゃれしてほしくて。この日のために用意をしたのだという。人の姿がだった頃の写真を見せてもらったが、そこにいる彼はどれも確かにその色の服を着ていた。
 ストールのように布をふわりと巻かれた彼は、今は表情があるわけではないが、少し誇らしそうに見えた。風もないのにさわさわと葉の揺れる音がした。

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