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終わりのある脱毛体験コース

「どなたさまもどうぞお気軽に」
 そう書いてあったので申し込んでみた。インスタで見た無料体験コース。
 いや、脱毛に興味があるというか、別にそんな必要はないと思うんだけど、一時の気の迷いというかなんというか……要するに体毛にコンプレックスを抱えていた人間にはぶっすりと刺さったわけで。
 事前申込はあったけど、基本的には無人だっていうから恥ずかしくないだろうし、ということは無理やりな契約を結ばされるということもないだろうし……つまりは「一回、つるんとした自分」を見てみたかった、というのが本音だった。

 仕事帰りに指定された場所まで来た。マンションの一室。こんなところでこんな営業してて大丈夫なんだろうかと思わなくもない。まだ日も暮れたばかりというのになんとなく全体的にどんよりと暗い。
「履物を脱いで中にお入りください」
 玄関にはご丁寧に張り紙がしてあった。
「こちらで服を脱ぎ、シャワーを浴びてください。タオルは脱衣カゴにありますのでご利用ください」
 靴を脱ぎ、上がるとすぐに見えたのがこれ。まあ、汗まみれでなにかをするわけにもいかないのか。
 言われたとおりに服を脱ぎ、シャワーで汗を流す。無料体験なのにここまでさせてくれるんだ。ボディシャンプーは無香料。無印良品かどこかだろうか。ラベルの無い、そっけないデザインのボトルだった。
 シャワーを手早くすませ、タオルで体を拭く。着ていたものはいつの間にかどこかに消えている。マジか。これ、帰れなくなるパターンじゃね?
 張り紙に促されて奥に入ると、作業用のベッドの上にクリームの入ったボトルが置かれていた。
「クリームを施術したいところに塗り、入念にすり込んでください」
 こういう展開、どこかで聞いたことがないか。俺は不思議に思いながらクリームを手に取り、足の先から順にすり込んでいった。これ、どれくらいやればいいんだろう。そもそもこれ何のクリームなんだ?
 ボトルには「天然成分由来。口に入っても安全」と書かれていた。キャップには猫のマーク。
「施術を行う部位の毛を備え付けのバリカンで短くしてください。長いままの場合、トラブルを起すことがあります」
 へー。初めて知った。なんか貼ってばりばり剥がすわけじゃないんだ。自分の頭にはテレビで芸人がガムテープを貼り、一気に剥がすところが思い浮かんだ。痛い痛い。それはちょっと勘弁してほしい。
 ともかく、バリカンを手にして処理を始めようと思ったその時だった。

「スズキ様ですね。施術担当のサトウと申します。よろしくお願いいたします」
 人が現れた。びっくりして変な声をあげた。近所迷惑だなと自分でも思ったが、そんなことを言っている場合ではなかった。誰ですか!
「驚かせて申し訳ありません、私、当院の施術担当の」
「無人だって書いてあったじゃないですか!」
「そのように読めたとしたらこちらのミスですね。失礼いたしました」
 サトウと名乗るその人は自分からバリカンを奪うと、さっと体勢を整え、俺の足から順にバリカンを走らせた。
「本来でしたらセルフサービスが基本なのですが今回は特別に」
 特別に、なんだよ。意味がわからない。人がいないって言うから来たのに。

「すごい、もっさもさですね」
 失礼極まりない。そういうふうに言われるのがいやだから、その、
「大丈夫ですよ。すぐに綺麗になります」
 そこからはなすがままだった。前、後ろ、気がつくとぱたりとひっくり返されて、モーター音が聞こえてくる。それはまるで魚の鱗を取る作業のようにも思えた。
「今日だけで全部できないとは思いますけど、下準備はVIOも含めて全部やっちゃいますね。見てみたいでしょ、ご自身でも」
「ご自身でも?」
「なにをどうされるか」
 手は止まらず、股間を空いた手で右へ左へ、まあなんというか、本当に全部刈っていったのだった。頭をすこし持ち上げて足元を見てみた。なんもなかった。これでよくないか。
ちょっと失礼、と、俺はあられもない体勢にひっくり返された。どう考えても恥ずかしすぎる体勢で、……あ? そこもですか……? や、そこは……やめてくれないかなー……。あ、ちょっと待って! そこはふつう誰も見ない場所では、というところまでバリカンは走る。顔は努めて冷静にしているつもりでも、内心冷や汗をかきまくっていた。
「それにしてもいい身体してますね。モテるでしょう?」
「いえ全然。誰も寄って来ないです」
「じゃあ……いやそんなことはないでしょう」
 なんだその言い淀みかた。さっきから視線がなんかぬめってる。なんというか、品定めというか、不本意に反応している部分はもちろん、それ以外も凝視しているっていうか、このまま取って食われるんじゃないかっていう感じの。
「ああ、男の方はどうしても反応してしまいますね。お気になさらず」
「俺は気にします」
「みんな一緒ですよ」
 張り紙といい、展開といい、このものの言いかたといい、なにかと似ている気がする。なんだっけ。
「クリームを入念にすり込んでください」「口に入っても安心です」
 あ。
 俺はなにかに気づいた気がした。いやでもそれ現実の話じゃないよな。だからって、なにもそれに寄せなくてもいいんじゃないか? 俺はおそるおそる聞いた。
「なんかここ、どこかで見たことのある貼り紙してありますよね」
「そうですか? 恥ずかしがる方が多いので、必然的に増えてしまいましたが」
「あれじゃあ、食べられるんじゃないかって逃げる人も」
「あはははは」
 サトウは大声で笑った。そんなこと言うかたは初めてですよ、とでも言いたげだった。
「なんでしたっけ、聞いたことありますね」
「あなた猫……じゃないですよね」
「いえ、タチです」
 え、どういうことですか、と聞き返したが返事はなかった。
「施術の準備をいたしますので、しばらくお待ちください」

 俺は部屋をざっと見た。今の今まで誰かが住んでいて、自分が来るからと片づけたみたいな部屋だった。どこかに脱いだものが隠されているんだろうか。カーテンで仕切られているだけで、たぶんすぐ向こうにサトウはいるのだろう。下手に服や荷物を探しに動いたら怪しまれる……どころか泥棒呼ばわりされてしまってもしかたないか。俺はどうにかしてここから逃げだそうと考えていた。

「注文の多い料理店、でしたね」
 サトウはカーテン越しに思い出したように言う。
「うちは酢をかけたり、塩を塗り込ませたりはしませんよ」
「でもこの展開、あなたは猫で僕は猟師ですよね」
 聞き取りづらかったのもあって、俺はすこし大きな声で返事をした。
 カーテンを退けて入ってきたその手にはスタンガン……ではなく脱毛のための機械が握られていた。部屋の隅に置かれている大きめの機械に接続する。本当にここから先もやっちゃうんだ。
「残念ながら私は猫ではないし人間です。タチですけど」
 それなんすか。たぶん素で聞いていたと思う。さっきもそう言いましたよね。すごく引っ掛かりがあるんですが。
「ご存知ありませんでしたか」
 サトウは顔色ひとつ変えずに説明をしてくれた。そして、スズキさんは同性にもモテそうですね、と、現状まったく嬉しくはない言葉もつけ足してくれた。うん、初めて聞いたし、異性にも同性にもモテたことはないし、できたら知らないでいたかったよ。
「なんか……すみません」
「ご希望でしたら、そういうことも経験とは思いますが」
「遠慮しておきます」
「残念ですね」
 頭をそっと押され、枕に載せられる。顔の上に布。視界が遮られる。痛いのは苦手でしょうから、とマスクを置かれた。
「笑気麻酔ご利用になりますよね」
どっからそんなもん出してきたんですか。だいたいそれ使ったら意識


わんわん! わんわんわんわん!
 わん! わんわんわん!
わんわんわんわん! わんわんわんわん!
 わんわん!
わんわん! わんわん! わんわんわん!
 わんわんわん!


 なんか聞こえる、これは犬か。冗談みたいに吠える犬とそれから逃げる自分。誰もいないにしてもそれはないだろう。走る走る俺。流れる汗はたぶん冷や汗だと思う。笑い事ではない。よーいドンで犬に追いかけられる俺。全裸で逃げる。ちょっとどういうことなのか説明してほしい。部屋の中にいたはずなのに、竹やぶの中を走っている。バラエティ番組でもこんな展開はないだろう。せめて先に壁がバタンと倒れて、いやそういう話じゃないな。っていうかなんで
「ちょ、ちょっと待ってこっち来ないでこないでこないで」
 自分の声ではない声が聞こえた。これ誰だ。来ないでほしいのはこっちのほうなんだけど
「あ、わ、ああああああああああああああああ」
 あ、わ、ああああああああああああああああ。なにかに足を引っかけて、転んだ。


「すみませーん、うちの犬が吠えちゃって」
 飼い主が犬を押さえつけている。ダメでしょう、こんな夜に。ちょっとだけじっとしててね。その人はどうにか犬をおとなしくさせ、俺のこともついでのように心配してくれた。今までいたはずの建物の中ではなく、道路の上に寝ていたらしい。って服!
 慌てて自分の身体を見た。良かった着ていた。いや良くないのか。建物に入って、張り紙のとおりに脱いで、あれやってこれやって、それで……、それで?
「あの、ここってなんかマンションみたいな建物ありました?」
 俺は犬の飼い主に聞いた。
「ここはずっと竹やぶのままですよ。頭打ってないですか?」
「や、打ってないです。すみません」
 なにがどうなってこうなったのかまったくわからないまま、離れたところにあったカバンを見つけた。中身は全部残っていた。物盗りに遭ったわけではなさそうだった。
 状況は把握できたが、自分がどこにいるかまではわからなくなっていた。スマホの地図が使えてよかったと思ったのはたぶんこれが初めてだと思う。迷いながらどうにかこうにか自分の家に帰ることができた。

 酷い目に遭った。自分の家に入ってもそこが自分の家かどうか疑うほどだった。せまい部屋の中をぐるぐると回り、誰もいないことを確認してやっと安心したのだった。
 あれはなんだったんだろう。飲んだわけでもないのに、酔っぱらったかなにかしたんだろうか。
 シャワーでも浴びるつもりで服を脱いだ。泥だらけで、ところどころ破れている服はもう捨てるしかないだろう。これ、気に入ってたのにな。がっかりしたまま風呂場に入り、自分の姿をあまり意識せず鏡で見た。……え、ええええ?
 つるっつるだった。びっくりするくらいつるっつるだった。きったない、もっさもさだったのに、つるっつる。しつこいようだが、あまりのつるっつる具合にびっくりするしかなかった。あの瞬間まで、幻じゃなかったのか。だとしたら、いったいあれはどこだったんだろう。あの人……本当に猫だったんじゃ。タチだって言ってたけど。だとしても、本当に注文の多い、いや、食べられなくてよかった。

(ヘッダ画像はぱくたそ様よりダウンロードしたものを使用しています)

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