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あめtoむち

こんばんは。りたです。
皆さま、今週もお疲れさまでした。
GWに入りますね。カレンダー通りだと3日間は平日を挟むので、
なんとも疲れやすい連休ですよね。
どうかご無理なさらないでくださいね。


前々回の記事で「なにくそ精神」がないことを書きましたが、

私は自他ともに認める「褒められて伸びる」タイプです。
しかし、その自覚が"驕り"を生み、成長できなかったことがあります。


私は幼い頃から、怒られると凹み、やる気が無くなる。
典型的な「褒められて伸びる子」
褒められるとやる気が出て、頑張れる。そんな子供でした。

それは大人になってからも変わることは無かったので、
このままずっと全肯定の優しさで成長していくのだろうと思っていました。

しかし、"お友達"が現われ一番苦しくてしんどい時、私は姉から
「全否定」を食らいました。
その時期は、外どころか部屋からも出ることが出来ず実家に引きこもっていたときでした。
久しぶりに家族を連れて実家に泊りに来た姉に、心のどこかで
「私を心配して慰めに来てくれたのだろうな」と思っていました。
しかし、姉がしてくれたのは肯定とは真逆の全否定。

この時の私は、姉の言動に意味が分からず、腹立たしさと悔しさで泣くばかり。
こんな状況なのに、優しくしてくれないのか。
この人は苦しんでいる人を突き放す、冷たい人だったのか。
あんたにこのしんどさの何がわかるんだ!!

色んな考えがぐちゃぐちゃになっている時に姉が言いました。
「好きでこんなこと言っているんじゃない。でも、このままなら何にも変わらない。あんたの苦しいに共感できないけど、あんたが苦しんでいることは痛いほどわかる。でも、そればっかりに目向けていたら、あんたはここから進めない。お尻叩く人だって時には必要だから。」

未だに一語一句覚えているくらいの衝撃でした。
ですが、その厳しくも優しい「荒療治」は私を確かに変えてくれました。

肯定されることが当たり前だと思っていたこと。
苦しい時ほど全肯定が当然だと"驕り"が出ていたこと。
気づかないうちに「全肯定のぬるま湯」に浸っていたことに気づいたのです。
たまに姉と会うと、未だにこのことをお互いいじり合うくらいの笑い話になっていますが、あの時の姉には感謝しています。

よく恋愛などで「優しくされるとダメになる」というのを目にしますが、
プラスにならないものは、どんなに優しくても毒に近いのかもしれません
ね。。。

...…なんて、かっこつけたことを書いていますが、
私は優しい人が断然好きです(笑)


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