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季節は実る

髪が伸びた。

頭皮の痒みが気になりだしてから、カラーするのをやめている。
1年は頭皮を休ませてあげよう、と思っているので
あと半年ほどはカラーしないでおこうと思う。

数ヶ月前から、ドライヤーの前に
ドラッグストアで買ったお手頃価格のヘアミルクと
無〇良品のホホバオイルを併用するようになって
本当に、どうしてこれまで、このやり方をしなかったのだろうと思うほど
髪に艶が出るようになった。
確かインスタか何かで、美容に敏感な方
(=私とは縁遠い方)が
この方法を教えてくれていたのを、何気なく試してみたのである。

コツは、タオルドライ後にミルクを塗って乾かし
8割程度乾いたところで、オイルを塗る。(いずれも毛先にのみ塗る)
そして最後まで乾かす。
その通りやってみたら、本当に効果が出たので嬉しかった。

髪の傷みがいつも
ロングヘアへの道を断ち切るきっかけだったのだが
今は毎日、自分の髪を愛でるように
というよりも実際に愛でて
大切に育てているような感覚。
ズボラでも、結果が出ると努力できるという発見でもあった。
来年の今頃には、目指している「胸までロング」が叶うだろう。


10月の初め、「弁慶まつり」を観に
和歌山県田辺市へ向かった。
前職でお世話になったご夫婦が田辺に住んでおり
お家に泊めてもらうことになった。
昼過ぎに高速に乗って田辺へ向かい、夕方に到着。
ご主人の方は脚が痛いとのことで
奥さんと、奥さんの妹と3人で弁慶まつりに向かう。
よさこいの決勝戦を観て、
メインイベント(私の中で)の花火大会を観に
人混みをかき分けて海沿いへ向かう。
生まれて初めて、海上で打ち上げられる花火を観た。
あまりにも目の前で上がったので
最初は「爆発か!?」と思うほどの爆音にびっくりして
「耳は大丈夫だろうか・・・」などと
ライブハウスにのスピーカー真ん前にいる時のように心配になったりした。
肝心の花火は、それはそれは豪快な打ち上がり方で
とても美しかった。空から星が降ってくるようだった。
耳は大丈夫だった。 

翌日、さらに前職で知り合った人の家へ向かうため
山奥へ向かった。
雨だったのでそろりそろりと運転をする。
後ろの車に「おせえなぁ」と絶対に思われていただろうが
そんなの関係ない。私は常に安全を優先する。
(そのせいで、友達には「超石橋叩き運転」となじられた事がある)

前職で知り合った人(Yさん)の住所を事前に教えてもらっていたので
地図アプリで検索するも、なぜかヒットしない。
田舎だからか?
仕方ないのでYさんに電話をかけて、近くの商店まで迎えにきてもらった。
Yさんはひとり暮らしで、ペットとして山羊1頭と犬を飼っている。

家に着くと、手作りの栗ご飯とお味噌汁、卵焼きがすでに用意されていた。
「庭に勝手に栗がなってて、それを炊いたの」
実は私は栗が苦手で、正直「しまった」と思ったのだが
一口頂いてみると、それはそれは美味しい栗ご飯だったので
むしろおかわりしたいくらい、美味しかった。
栗への概念が変わるような、すばらしい栗ご飯だった。

栗の甘みとほくほく加減が最高だった あとご飯の塩気


Yさんとは約2年ぶりにお会いしたので
お互いのここ数年の話をしたり
今後の展望についてなどを話した。
たくさん、聞きたいことと話したいことがあった。

私には、30代になった今でも自分の仕事歴が安定していないことに
強い焦りと劣等感と、情けなさがあった。

これまで、いろいろな仕事を経験してきたが
その中でもいわゆる「正社員」として働いたのは
たった2年間だけ。他はアルバイトや契約社員だ。
美術館でのグッズ販売、百貨店の接客、観光案内所兼カフェでの接客販売
スキーウェアのレンタル会社での事務、北海道でのリゾートバイト
地域情報サイトのライター、大学教授の研究室の雑用・・・
まだ他にもあるはずだが、多すぎて思い出せない笑

そんな経歴を何気なくYさんに話していたら
「20代でそんなに色々な仕事の経験できたの、羨ましい!」
と言ってくれた。
Yさんは、かれこれ20年ほどずっと同じ仕事を続けている人だ。

私は文字通り「ぽかーん」としながらも(益田ミリの漫画によく出てくる顔)
「そうですかねぇ・・・」と照れ笑いを浮かべるのが精一杯だった。
でも、この一言が、その後の会話中もずっと、頭に残っていた。

田辺から帰ってからしばらく経っても
その言葉はじんわりと発光を続け
今も心の中に灯っている。
嬉しかったなぁ。

今でもずっと、考えている。
安定って、なんだろうか。
たとえ仕事が安定しても
心が安定しなければ意味が無い。

心の安定を大前提にしながら
自分のペースでできる働き方を
今も模索中です。



出典:「ふつうな私のゆるゆる作家生活」益田ミリ著




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