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大人になってRomance.1

「もういい!別れる!出てって!!」

そう。そんなこと言わないで、って言われたかっただけ。
ごめんね、愛してるよって言われたかっただけなのに、
いつからこの部屋はこんなにも寒くて静かだっただろうか。


高校1年の頃からずっと付き合っていた私たちは、早8年の月日を共にした。
16歳の甘酸っぱい青春の灯は、お互い24歳になった今も鮮明な記憶だ。

恋とは、一種の贅沢病なのだろうか。
付き合い始めた当初は、ただ彼といられるだけで、いや、もはや
一緒にいられなくてもただ楽しく、愛おしかった。
部活終わり会えるか会えないか、会えたらなんて声をかけようか、
向こうから誘ってくれないかな、とか想像しているだけで楽しかった。
電話なんていうものがかかってきたときは、咳払いをしっかりとしてから
この世の音の中で世界一可愛いであろう声で「もしもし?」と言う。
それが青春を長続きさせる極意だと勝手に思っていた。友人には内緒だ。

12月24日、世の中が煌めいて色めき合っている雰囲気に私たちも便乗した。
これから2人で人生を共にしていくんだなと実感した瞬間は、どう表現したらいいかわからないほど幸せだった。紛れもなく、1人の男と女が愛し愛された瞬間だった。

みんなで同じシャツとブレザー、スカートを着てローファーを履くという
なんとも尊い時間はあっという間に終わりを迎え、私たちは”社会”という
得体の知れない狭いような広いような、自由なような不自由なような世界に放り出された。その頃からだっただろうか、彼と電話をしなくなったのは。

自由であるということは、楽である反面、無情だ。
お互い違う進路で、お互いに195度ぐらい違う日常が流れていく。
そうか、これがすれ違いというやつか。
それまで1日に数えきれないほど会話をしていた緑色のアプリも、
文字を打つより通知が来ていないかを確認する回数の方が多くなった。
可愛げな文字や楽しげな絵文字ばかりがクラクラするほど並んでいたあの頃は、気づけば一生懸命人差し指を動かさなければ戻れないほどの過去で、
今はいつ会えるか会えないか、いつ電話ができるかできないか、スケジュール調整の仕事が得意になりそうな内容ばかりだ。

それでも今日まで、24歳になった今日という日まで一緒に過ごしてこれたのは、”就職”という悪魔の2文字が物理的な距離を縮めてくれたからだ。
このときばかりは、毎朝電車で吊り革を掴み、会社を呪うのをやめた。
2人の職場は近く、必然的に家も近くなった。彼がうちに来ることも多くなり、会いたいときに会えるようになった。もう、期待しない期待しない、と念じてからスケジュールを聞く必要もなくなった。
タバコのゴミを置いていっても、近くのファミレスにしかデートに行かなくなっても、旅行の計画を私だけで立てていても、それでもよかった。
だって会えたし。話せたし。


と思っていたのは私の利口な脳だけで、心はどうやら限界を突破していたようだ。全ての臓器は脳と繋がっていると思っていたのだが、違ったようだ。
言うつもりなんて全くなかった、自分でも思いもよらない言葉が気づいたら解き放たれていた。




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