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#33 元気だせ!自分で自分を助けにいくんだ、もんくあるか!

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

天は自らを助くる者を助く
西洋のことわざ

最近、支援とか給付という言葉をよく耳にする。特にビジネス関係だと、この後に「金」が付く。簡単に、ざっくりと、そして語弊を恐れずに言えば、どうしようもないから一旦とにかく金で助けてもらうという事である。

今だ、自らで状況を打開できる事と確信できるものは少ない。自分の力の及ばないところでコトは起きていて、努力の方向性が見いだせないのがほとんどのケースだ。こんな時、どうしたらいいのだろうか。まだはっきりした答えは見いだせない。様々な結論を出すには早すぎるようにも思える。

不安だけが募っている。

もしかしたら自分だけがこの情勢下で何もできずにいるのではないだろうか。そしてこのまま様々な責任を放棄して、信用や信頼を失ってしまうのではないだろうか。そして今、それを手をこまねいて待っている状態なのではないだろうか。その結果、自分の居場所や大事な人や大事な物を失ってしまうのではないだろうか。

などと、良くない思考のスパイラルに陥ってしまう。結局のところは、できる事の中で、必要な事をするだけである。しかし、それも正解かどうかはまだわからないのだ。

そんな時、ドラえもんチャンネルコロコロコミックの共同企画である大長編ドラえもんの5タイトル全編丸ごと公開(←ここから読める)の第2弾が公開された。

この第2弾は大長編3作目「のび太の大魔境」である。2020年6月4日午前10時までの公開である。いないとは思うが、もし読んだ事がないのであれば、上のリンクから急いで読んだ方がいい。こんなところにいるべきではない、割とマジで、早く、読まないとほんと恥ずかしいわよ。

ちなみに、第1弾は大長編5作目の「のび太の魔界大冒険」だった。この魔界大冒険から始まったので、この後どんどんと新しい作品になるのだろうかと思っていたが、3作目の大魔境が公開された事は本当に素晴らしい英断だと拍手を送りたい気持ちになった。なぜなら大魔境は絶対に外せない名作だからである。この名作大冒険をデジタル画面でふたたび読むという体験が、今の鬱屈とした日本人には必要だと言える。

今回もその中の1コマに叱咤された。デジタルで読み直したから見出したコマである。皆さまにも、是非とも見ていただきたい。

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てんとう虫コミックス 大長編ドラえもん「のび太の大魔境」 ラストのコマの1コマ前。自分たちを助けるという先取りした約束を果たす為、みんなを鼓舞するジャイアンの後ろ姿というシーン。

このコマについて、良いところは何かという事を説明していきたい。いいコマ過ぎて、もはや説明するのは野暮かもしれないがしていく。なぜならこれはそういうnoteだからだ。

いつもの事であるが、1つのコマについて分解して考えていく時、いくつかの要素に分ける事が役に立つのでここに提唱したい。というか、僕がここでいつもやっている事だ。

1コマを分解して考えていく時のポイント
・コマの構図
・人物とその感情
・セリフが意味するもの
・そのコマに至った背景
・F先生の言いたかったであろう事
・自分が受け取ったメッセージ


・コマの構図

構図としては広く描かれたジャイアンの背中と、ジャイアンの顔を見上げるように描かれたのび太、ドラえもん、スネ夫という書き方になっている。広く描かれた背中、見上げるようにという点がこの後ポイントだ。ジャイアンの表情は後ろ姿なので見て取れない。のび太の顔は隠れてしまっているので定かではないが、ドラえもん、スネ夫の表情と文脈を読めば、ジャイアンとそのリーダーシップに同意・納得しているのではないかと言える。つまり、頼れるリーダーの言葉と、それに同意するメンバーという構図なのではないだろうか。

・人物とその感情

コマにいるのは、のび太、ドラえもん、スネ夫、ジャイアンの4人である。この時、すぐ近くにしずちゃんがいるのだが、このコマには描かれていない。それには理由がある

のび太、ドラえもん、スネ夫の3人は大冒険の満足感と疲労感に包まれており、しずちゃんが約束した過去の自分たちを助けに行くことに少しばかりウンザリしていた様子がこのコマの前のコマからも見て取れる。

そんな事ではいけない!と言わんばかりにジャイアンが、鼓舞をしている訳なのだが、これはつまりしずちゃんとジャイアンの、「過去の自分たちを助けに行って約束を果たそう!」という思いが一致しており、甘えたことを言わんばかりの3人に檄を飛ばしたのである。しずちゃんは約束をした張本人だし、状況を理解しているのでしずちゃんにジャイアンからの檄が飛ぶ必要が無かったのである。そのため、このコマにはしずちゃんが含まれていないのだと考える。

・セリフが意味するもの

では今一度、セリフを見てみよう。

「元気出せ!自分で自分を助けにいくんだ、もんくあるか!」

まず、「元気だせ!」について考えてみる。

「元気出せ!」という場合、言われた側は元気がない状態か、元気を出すのをためらっている状況であると言える。しかしながら、言った側は言われた側が本当は元気を出せる事を知っているか、根拠は無くても状況的にここは元気を出して行った方がいいと感じているので、そのように言うのではないかと思う。この場合、後者だ。そして「だせ!」というのは命令形だ。「だしなよ」の提案ではない。例え元気でなくても、元気を出せ!と言っているのである。強い使命感がそこにあるのだろうと感じる。

次は「自分で自分を助けに行くんだ」について見てみよう。

ストーリー上で言えば、今ののび太たちが、過去に戻って自分たちのピンチを救う。という事を指している。タイムマシンを使って、巨人像の秘密を教えて、ダブランダーの野望を阻止し、王国に平和をもたらすという意味がある。ハッピーエンドに持っていくためには、これが避けて通れない条件ともいえる。つまり、この後しなくてはならない事の条件の確認を行っている一言という事になる。注目すべきは、ジャイアンが今置かれている状況を、上手に概念化して言語化しているともいえる。わかりやすく簡潔。素晴らしい表現だと思う。このような事から、ドラえもんやスネ夫の表情にも晴れやかさが出ているのではないだろうか。

最後に「もんくあっか!」についてだ。

強い言葉である。ジャイアニズムを代表するの言葉の一つと言えるのではないだろうか。これまでいつだって誰かのために戦ってきたのび太達、今回だってペコの王国の為ではあるが、意外にも状況の打開策は自分を自分で助けるという事であった。上にも書いたが、自分で自分を助けるという概念化された打開策の条件には文句のつけようがない。このジャイアンの理論と「もんくあっか!」こそがのび太達を納得させる決定的な一言だったのではないだろうか、と考える。無論、自分で自分を助けるのに、文句はない。なにせ自分の為なのである。グゥの音も出ないほどのド正論なのである。そもそも、人はいつだって自分の為に行動していると言える。なので物語上、彼らの行動の動機としては大きくみれば利他だが、結局は利己でもある。情けは人の為ならず。という部分があるのかもしれない。

・そのコマに至った背景

この大魔境を構成する大きな要素として、ジャイアンの立場が徐々に追いやられていくという描写がある。簡単に説明するとこうである。

ひみつ道具を使った冒険は、本当の冒険ではないという理由で、使えそうなものを空き地の土管に置いてきた事を起点として、窮地に追いやられた仲間から非難の声があがる。ピンチが来る度に、またはそのピンチを作り出す度にジャイアンはひみつ道具を置いていくという決定を下した自分に、失敗したという責任を感じて行く。とうとう仲間の前で癇癪を起し、へそを曲げてしまうジャイアン。立場上、ペコ以外には気持ちを打ち明けられないところに、ジャイアンの人間らしさを感じる。それ以降、ジャイアンは一番後ろで少し遠慮がちとも見えるようなシーンが続く。しかし逆に、危険な場面では率先して前に行く。これは自分が決定した事への責任を彼は彼なりに取ろうとしているのである。時には仲間の盾となって、自分が傷ついてでも。そして大一番に1人で責任を取ろうと歩き出すジャイアンを見て、その思いを理解した仲間たちは再び一致団結するのである。

もはや涙なしには読めない。こんなの、意地らしいったらない。読み返してもらうと、ジャイアンの気持ちが手に取るように見えてくるハズだ。教科書に載ってもいいくらいだ。

このような背景があり上の文中では「立場上」と表現したが、このジャイアンの立場とは何だろうか。そう、ガキ大将である。ガキ大将とはリーダーの事であり、リーダーとは組織の意思決定者、責任者、管理者でもある。

ドラえもんがリーダーじゃないの?と思うかもしれないが、ドラえもんは子守りロボットなので、皆の保護者であると言える。保護者の主な役割は面倒を見たり、見守る事であり、時には身を挺して守ってくれるが、この仲間の実質的な意思決定者はジャイアンという事になる。もちろんこれは、大長編に関わらず普段からそうである事を留意したい。

ジャイアンはこのガキ大将という立場を失ってしまうのである。自分の思い通りに行動した結果が、仲間を窮地に追いやってしまったからである。

しかしもう一度、今回取り上げているこのコマを見て欲しい。何度も言うが、このコマはラストの1つ前のコマである。

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このジャイアンの大きな背中は、頼れるリーダーを象徴している。皆の見上げるような視線は、尊敬の眼差しである。ジャイアンのガキ大将としての立場が戻ってきたことを、このコマは表現している。そして、皆がそれを受け入れているという事もわかる。

大長編のルールとして、F先生はこのように言っている。

日常から、非日常に行き、最後は日常に戻ってくる。

正確な言葉とは違うかもしれないが、このような内容である。

つまり、ジャイアンがガキ大将に戻った。という事は、この冒険が日常に戻った。これでこの物語は終わり。という意味でもあるのだ。

物語構成上、ラスト前のコマとして完璧である。語彙力が足りないので、すごいとしか言いようがない。

このコマには、このような背景と意味があるのだと思う。

・F先生の言いたかったであろう事

大魔境の中にあったテーマは、これじゃないかと思う。

人は間違う。

彼らが、冒険に出て、冒険の中で失敗して、いがみ合って、それでもお互いの気持ちを慮って、信じて、団結して、問題を解決した事の大きな転換点はジャイアンの失敗にある。

それを踏まえた上で、リーダーがどんな意思を見せて、どうやって責任を取るのか。どういう背中を見せるのか。という事と、周りの人間がリーダーにどうやって答えるのか。

そういう事なのではないだろうか。

一見、ハラハラドキドキの冒険の物語だが、愛憎渦巻くヒューマンドラマ、あたかもドキュメンタリーのような心理描写だったのだ。

・自分が受け取ったメッセージ

何でも失敗しない事。が第一ではある。そのためにいろんな準備をする。しかし、そのために行動出来ない人には、失敗すらもやってこない。

前に進む必要がある時、僕らはどうしたらいいのだろうか。先行きが見えないので、行動しないのだろうか。失敗しない道など、そもそもあるのだろうか。F先生が大魔境の中で、「人間はみな間違うものだ」と仰っているのであれば、座して死を待つのではなく、選ぶべきは冒険の道なのではないだろうか。

大魔境の物語は、タイムマシンありきでこのオチが来ている。しかし自分で自分を助けに行くことというのは、現実世界の我々には適応しない。自分はこの時間軸に一人しかいないし、タイムマシンは存在しないからである。残念ながらまだ過去にも未来にも行けないので、我々には今しかないのである。

そうなると、今の自分が、未来の自分に何をしてあげられるのか。という点以外には、何もないという事が見えてくる。

そう考えれば、「今できる事をやるしかない」という観点だけではなく、どのような未来の自分を想像するか。という事の方が大事になっていく。

将来的に、どのような未来を創造するのか。つまり、目標を立てるというのも、これに類する事だろう。未来の創造とか目標を立てるというのは、自分への約束と言い換える事が出来るかもしれない。

まず、長期的な目標を立ててみて、それから逆算してできる事を探していく必要があるのではないだろうか。

その行動は、未来の自分への約束を果たす事になるのだと思う。
結局のところ、未来の自分を助けるために行う事だ。

その目標こそが、ぼくらの「先取り約束機」なのだ。

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それでも口で言うほど簡単ではないかもしれない。明日どうなるか。という目に見える危機が差し迫っている可能性もあるからだ。


でもくじけそうな時は、僕らの中のジャイアンがこう言ってくれるだろう。

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