つながり孤独

 どうやら最近”つながり孤独”という言葉があるらしく、「SNS上などでは人と繋がりがあるのに孤独感を感じること」みたいな感じらしいですよ。
他人の幸せそうな生活がSNSで垣間見えたりすることで、それに煽られる形で自分の不幸せさに苛まれたり自分は認められていないと感じたりするらしいです。

 これに関しては僕も思うところがあるのですが、そもそもこの話はSNSのアカウントの”運用目的”で大きく変わってくると思います。
運用目的が”現実の友達とつながるため(→リア垢)”なのであれば、”つながり孤独”というものを感じるのは理解できます。
ですが、運用目的が”素性の知らない人とつながるため(→趣味垢)”なのであれば話が変わってきます。

 SNSアカウントをリア垢として運用している場合、おそらく相手の生活を覗く形になると思います。
数ヶ月前、僕は高校生の時に使っていたリア垢を削除しました。
高校の友達が大学で順風満帆な生活を送っているであろうと容易に想像できるようなツイートがタイムラインを埋め尽くしていたからです。
タイムラインを見ても全く楽しくなかったし、大学に友達が全然いない自分が惨めに思えてきたからです。
これは文字通り”つながっているけど孤独”という状態です。

 では、SNSアカウントを趣味垢として運用している場合はどうなのかというと、結論から言うと「そもそもつながってない」んだと思います。
現実世界の孤独感をSNSで埋めにきた人は、フォロワーが増えるだけで、いいねをしてもらえるだけで、十分つながりを感じれるわけです。
趣味垢を運用する人も別にみんながみんな”現実の埋め合わせをしている人”なわけではないので、素性が知れなかろうがガツガツ人間関係を構築できる人たちも大勢います。
それを見た途端、急に自分の中での”つながり”が貧弱に思えてしまうのだと思います。
つながりの先の人は”仲のいい人”じゃないな、って。
そして、自分の不幸せさに萎えていくんです。
 ここで最初の「そもそもつながっていない」という話です。
SNSにおける"フォロー"というつながりを、現実世界でいう"友達"というつながりと同等だと思っているのがまず間違っていると思います。
SNSにおける"フォロー"というつながりは学校でいうところの"クラス(学級)"だと考えた方が良いと思います。
「クラス全員と仲がいいわけではないけど、同じ空間に居るっちゃ居る」くらいの。
クラスメイト止まりの関係性はつながっていないようなものです。
クラス替えしたら100%話さなくなる人は、つながりなんてないですよ。
趣味垢を消したら、ひとつたりともつながりなんか残らないでしょ。


 僕含め、これは「孤独な人は現実だろうがネット上であろうが”孤独”」というたった一つの事実です。


 その点、SNSで仲良くなった人とLINE,メールアドレス,電話番号などの連絡先を交換したりしている人たちは、趣味垢を消しても関係性は残るのでそれは確実に”つながり”だと思います。

 補足ですが、趣味垢においても現実の”友達”にあたる関係性の人はできると思います。
いわゆる、現実では関わりが無いが、インターネット上では親交がある「ネッ友」ってやつですね。
”親交”というのが重要で、おおよそ「気兼ねなくテキストでやりとりを行える」くらいのものだと思います。


#192 つながり孤独 

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