意味と同窓会

 複数人でいる時よりも一人でいる方が好きなのは何故なのか。「気が楽」「気を遣わなくていい」と言えば簡単だが、もう少し考えてみたところ「何をするにも意味が不要であるから」という結論にいき着いた。なぜコンビニに行くのか。なぜ散歩をするのか。なぜ音楽を聴くのか。なぜラジオを聴くのか。なぜ誘いを断るのか。その全てがいらないのが’一人である’ということだ。他人に説明する時、「なんとなく」では通用しない。「何を買いに行きたいからコンビニに行くのか」の説明がつきまとってくる。コンビニに明確な目的をもって行く奴の方が割合的には少ないと思うが、実際問題として説明をしなくてはならない。

 意味から解放されたい。だから、僕は一人がいいのだ。
 ’自分’が自分のものでしか無いという状況は、自己中心的な状況ではあるが自分が良ければオールオッケーだ。意味もなくショッピングモールに行ったっていい。意味もなくコンビニに行って何も買わずにお店を出たっていい。効率の悪い買い物の仕方をしたっていい。全ての価値基準は自分だけが握っていて、それは自分の存在価値をも握っていることになる。誰のためでも無く自分のために何かをし、それで満足できている。つまり、それだけで自分の存在価値、存在意義、生きていることの意味を満たすことができる。

 一方、複数人でいる場合はその価値基準は自分以外に握られる。これは僕が他者の目を気にしすぎてしまうのが良く無いのだが、「相手の価値基準に自分は適応できているのか」ばかりを考えてしまう。別に自分の価値基準を押し付けることも可能なのだろう。しかし僕にはそれができない。何故なら、自分に自信がないからだ。僕の価値基準が普遍的なものであるとは到底思えない。押し付けるような傲慢な考え方も性に合わないので相手に合わせることになる。別に苦ではない。20年目の人生、もう今更だ。もうずっとそうやって生きてきた。変われるとも思えないし、僕が尊敬してやまない二人の芸人さんのおかげで「無理に変わらなくていいのかもしれない」と最近は思えるようになった。



 一挙手一投足に明確な意味をつけないといけないことが苦しい。そして、この価値観を持っている僕は少数派なのだから他人に押し付けようなんて思ってはいけない。ずっとそう思っていたし、実行できていると思っていた。


 「飲み会は得るものがない。」

 僕の尊敬する二人の芸人さんが、その昔とある番組でこう言っていた。

 僕はまだ未成年なので飲み会にこそ行ったことはないものの、おおよそこのタイプだろうなと思っていた。行ったところで得をするわけじゃないのであれば行かなくていい。そう思いながら、こういったひねくれた考え方をしてしまう自分に優越感のようなものを感じてしまっていたのかもしれない。

 飲み会に行ったところで得るものがない。それつまり’意味’がないということだ。なんで飲み会にいくのか。出世できるのか。給料が上がるのか?誘われたから行くのか。

 別にこれといった意味なんてないのだろう。「なんとなく」なのだろう。

 今度は僕が意味を求める側になっていた。自分の偏った価値基準を押し付けていた。傲慢だ。慢心だ。



 「成人式の日の夜、同じ中学の人で集まって”パーティ”をしよう」と誰かが言い出したらしく、グループラインが発足した。中学でも数少ない友人からそのグループにぶち込まれた時、「行きたくない」という意味合いをこめまくったツイートをした。行ったところで得られるものもなくて意味がないと思ったからだ。でも、同窓会にこれといった理由なんか初めからないのだ。

なんで集まるの?
んー、成人式の後だからなんとなく。
なんで集まるの?
んー、せっかくだしいいじゃん。

まあ、こんなものだろう。行っても意味がないから行かない」は論理として成り立っていない。

 正直、中学の同級生で会いたい人はそんなにいない。もちろん、いるにはいる。でもそれは‘合う’こと前提だ。合う人に会うために、合わない会いたくない人と会わなくてはならない。
 同窓会の幹事をやっている人からグループに投稿があった。

「多分あと半分くらい残ってるのでどんどん招待お願いします」

 そう言われて今一度自分の友だちの欄を眺めてみたが、同じ中学の人が4人しかいなかった。よく自分まで連絡が回ってきたなと本気で思う。
 中学の同級生で会いたい人は4人以上いる。連絡がとれなければとんでもない偶然でも起こらない限り今後一生会えない。もし‘合う’人が同窓会に来ていれば、もしそこで連絡先を交換することができれば、一抹の会える可能性を掴むことができるかも知れない。

 合う人に会うために、合わない人に会わなくてはならないのはおそらく今回だけだ。成人式だし、初回だし、そんな心持ちで来る人もいると思う。今後何度か同窓会が開催されるとして、一番参加者が多いのは成人式後の回だと思う。(高3の冬に一軍たちだけで同窓会をやったの、俺は知ってるからな。)その後は参加者が減る一方だろう。数年スパンでもいいから、飲みに行ったりしてみたい人が何人かいる。でも連絡先を持っていない人がたくさんいる。チャンスは、今回しかないのかもしれない。

 どれくらいの割合の人が参加するのか。誰が参加するのか。どこでやるのか。そして、会費が前払いであるかどうか。
 これらを気にしながら、参加するかどうかは決めたいと思います。「たりないふたり」を見返して、飲み会から離脱する技でも身につけておこうかなと思います。まぁ、飲み会で使う技が通用するとも思えませんが。

#209  意味と同窓会


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