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星一つ無い空の 赤く光る航空障害灯

散歩をしながら思ったことをそのまま書くので、一部で下品な言葉を使っています。

♪SOUTH BLUE/はじまりのうた


 夜は視界の情報が少ない。
 昼間の視界は上へ上へとどこまでも広がる青空が煩わしい。
その縦長の視界には情報量が多すぎる。
 その点夜は空の青々しさがなく、情報量が少ない。
その横長の視界は、映画さながらの2.35:1である。

 24時を回ると、すれ違う人なぞはほとんどいない。
ランニングをしている人か、終電で帰ってくるようなインドアとはほど遠い1日を過ごした人か、まあそんなものである。

 暗い街は、色が目立つ。
信号の赤や青、遠くの建物の航空障害灯、車のヘッドライトや電光式ナンバープレート。
深夜の街を照らすことを放棄したライトもあれば、照らす意欲のない街灯やビカビカな街灯もある。
その中でも電気すら点いてないライトというのが俺は狂おしく好きだ。

 『正欲』(著・朝井リョウ)の表現を借りると、街には「『明日、死にたくない』人が『明日死なない』ための情報」で溢れている。
昼間の視界に入ってくる「正しい命の循環」ですら、夜はおとなしい。
 「明日、死にたくない人」に、セックスをする以外の夜は必要ないのだと思う。
そんな夜の街に、「『明日死なない』ための情報」は必要ない。
飲食店の看板にも、スーパーの広い駐車場にも、つい4時間前まで自分がいたバイト先も、豆腐が異様に安くて重宝しているドラッグストアにも、それらを照らす灯りは存在していない。
 夜の「『明日、死にたくない』人が『明日死なない』ための情報」や「正しい命の循環」がこぞって寝静まっている部分に、俺は惹かれる。
人間に飲み物を買わせようという気概を感じさせられない、正気せいきを失った自販機がほのかに灯す小さな小さな橙と紫のライトなんかが愛おしくなってくる。

 深夜に街を徘徊すると、相当数のアパートや一軒家の横を通る。
一室だけ電気の灯った部屋では、中学生か高校生が受験勉強をしているのかもしれない。
微かに常夜灯が漏れる部屋では、恋人と電話をしている人、自慰行為に励む人、YouTubeを見ながら寝落ちしている人なんかがいるかもしれない。
俺が歩いた道沿いの住居に、1部屋くらいはセックスをしている部屋もあっただろう。
たまに、家からプンとシャンプーの匂いが漏れて漂ってくることもあった。
今日漂ってきた匂いは、父方の祖父母が家に置いているものと同じ匂いだった気がする。
 深夜に寝静まった街に点々と光る「正しい命の循環」の数々に、精神を削られる感覚がそれとなくある。

 深夜の街は他人の目も気にしなくてい。
向かいから来る人もいなければ、追い抜いてくる人もいない。
Creepy Nutsの曲を聴きながらノリノリで歩くことやシティ・ポップ系の曲を聴きながらダラダラ歩くことを冷ややかに見てくる人のいない街がそこにある。
たまに横を通る車が億劫だが、幸いヘッドライトのおかげで気がつける。
だからその一瞬だけ身を正せばいい。
横断歩道の白線。
歩道の点字ブロック。
歩道の地面に互い違いに配置された白と灰色のレンガ。
線路のようにどこまでも伸びる側溝とそのふた
それらを一つ一つ丁寧に踏み抜くように歩く。
 時間の感覚も、曖昧になる。
1ヶ月ほど前、高3からほとんど外したことのない腕時計のベルトが壊れた。
軽くて情報のなくなった左手首が心もとなく、”リューズ”と呼ばれる時計のつまみが手の甲と擦れて少し硬くなった皮膚だけが残っている。
腕時計がないのでわざわざポケットからスマホを出して時間を確認する必要があり、それが煩わしい。
それも後押しし、時間の間隔が曖昧になる。

 僕の祖父母は遠方に住んでいる。
年に2回、年末年始とお盆にしか会えないが、ちょっとした旅行のような雰囲気が好きだった。
いつからか、父が運転する車の助手席は俺が座るようになった。
運転席の後ろが妹、助手席の後ろが母親、そして運転手が父親。
俺が実家を出た今、助手席は誰が座っているのだろうか。
実家に帰省するたびに僕は当たり前のように助手席に座っているが、それに関してはどう思われているのだろうか。
「お前はもう家を出た人間だろうが」「図々しいなお前」と思われてはいないだろうか。
 高速道路の深夜料金のため、祖父母に挨拶しに行くときは家を深夜2時過ぎくらいに出発することが多かった。
小学生の頃は「俺は車の中で絶対に寝てやらんぞ」という謎の決心をいつもしていた。
後部座席では妹と母親が爆睡している。
椅子倒して寝てもいいよ、と進言してくる父親。
いやまだ眠くない、と答える俺。
 深夜に広がる田舎の街を、高速から見下ろすのが好きだった。
当時は東京タワーだと本気で思っていたような気もする、バカでかい送電線の航空障害灯。
遠くに見えるビルの航空障害灯。
遠いものが、遠いまま通り過ぎていく。
 「こんな暗い中でよく時速100kmで車を走られられるな」と、申し訳程度の反射板や街灯、航空障害灯、車のヘッドライトを見ながら父親に対して思っていた。
たまに父親がヘッドライトをハイビームにし、視界に一瞬だけ奥行きが生まれる瞬間がなんとなく好きだった。

 田舎の街から見える航空障害灯は、迫力がない。
遠いものがちゃんと遠いままで、人間の非力さを感じる。
徒歩だと1時間かかるような場所へ、車は10分そこらで行ってしまう。
でもだからこそ散歩はやめられない。

 多分今日も夜は散歩に行く。
この時期の夜は散歩に最適な気候をしていて、行かざるを得ない。
 人が少ない夜だからこそ、人を見かけると少しだけ怖くて不安になる。
誰かと散歩していればそんな不安は消えてなくなるのだろうが、不安を抱きながら散歩する時間が至高の時間だ。
誰かとおしゃべりしながらする散歩も良いものだとは思うが、俺は不安と散歩していたい。


#280  星一つ無い空の 赤く光る航空障害灯

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