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恋愛についての個人的な考察

 この世の”あたりまえ”を普通に受け入れられる人にはこの文章を読んでいただかなくて全く構いませんので、お静かにブラウザバックをお願いします。少なくとも僕とは100%分かり合えないので、幸せで健やかな人生をどうぞ勝手に歩んでいてください。

初めに

 まずは単刀直入に、自分が恋愛をしている姿やそれによってドギマギしている姿というものを全く想像することができません。その理由もいくつかあるのですが、少しばかり性格ひん曲がっていますが、多めに見て下さると嬉しいです。

(ここから本筋からめちゃくちゃ離れるので、
次の見出しまで飛ばしていただいて構いません。)

 最近ずっと悩んでいることがあります。僕は「人と話すときに備えて、小さい頃の思い出や考え、悩みを整理する」という目的でnoteを始めました。最初は思い出がどんどん整理されていく感覚がありました。少しづつ”美化”され思い出が色づいていくその感じになんとも言えない感覚を味わえていました。しかしnoteを続けるにつれ次第に悩みや考えの方の比重が大きくなってきました。だんだん自分の中での”偏った正解”が強くなり、内容が人に話せる内容ではなくなってきました。人の目が気になるとか、友達はたくさんいらないとか、一人でいる方が楽だとか、成人式が憂鬱だとか、同窓会にそそられないだとか。’内容的な話しにくさ’というよりは、’話すと相手に気を使わせてしまう気がする’というのが大きいです。僕なんかと話をしてくれる友達がそもそも少ないのに、それをも減らしてしまう気がしてなりません。友達と雑談をする中で真剣な話になったとしても、そこで自分の悩みを開示する勇気はありません。誰かと話す時の下準備としてnoteを始めたのに、もはやそこから逸脱しています。
 そんな醜い内容でも、noteなら割と素直に書くことができています。noteは’誰かに読まれている’という感覚が得にくく、正直、誰かに読まれていると思っていません。一応リンクをTwiterに貼ったりしますが、ラジオとかの内容でない限りリンクはほとんど踏まれません。読まれているとしても、生粋のnoteユーザーさんかnoteもフォローしてくださっている方だけなので、心のどこかで信頼している部分が僕の中であるんだと思います。そんな方々に対してnote上ですら体裁を取り繕おうとするのは、些か失礼なんじゃないかと思い始めました。
 僕のコミュ力では、noteをフォローしてくださっている方と会うことは多分ない気がしていますが、なんか凄く親身になって読んでくれているような気にもさせてくれる方たち。そういう空間だからこそ、自意識の鎧を脱いで、それを天高く掲げながら、その鎧についての私見を吐き出せる。
 「僕はこんな人間です」と取り繕うことなく全部素直に言う場所として、今回は使わせてください。

理由1:「考えることが多くなりすぎる気がするから」

 毎日普通に生きているだけでも、周りから自分がどう思われているかとか、自分の選択は相手の意に沿ったものであったかとか、さっきの自分の言動は変ではなかったかとか、昨日の自分の言動のチョイスの反省とかをしてしまいます。対して関係性ない人に対してもこれが発動してしまうのに、’彼女’という存在がそこに介入してきたら完全に自分の脳のキャパを超えてオーバーヒートすると思います。

理由2:「男がリードするべき」という風潮

 一回、「こんな彼氏は嫌だ」で検索してみてください。結構な頻度で「自分からは連絡をしてこない」とか「連絡をとる頻度が少ない」みたいな内容が書いてあると思います。
 僕は基本的に自分からLINEを送るのが’怖い’です。これは男の友達に対しても発動してしまいます。なんか、会話の責任を負わないといけない気がしてそれがすごく荷が重いんです。それに加えて、「こいつからのLINE返すの怠い」「連絡のタイミング今じゃないだろ」「こんな内容のくせに連絡してくんな」とか思われたりするのが怖いです。
 「成人式の日の夜一緒に飯食おうぜ」と誘ってくれた中学の友人がいて、これはすごく嬉しかったです。でもこれも同じで、飯に誘った側がその飯会を楽しませる責任みたいなのが生じると思うんですよね。僕はそんな責任を背負いたくないのし背負えないので誘うことができません。

 日本固有の文化なのかはわかりませんが、恋愛は男からという風潮が強いと思います。そういうことを意気揚々と語るサイトを見ると「男なんだから」「それが男らしさ」みたいな言葉が羅列されていることが多くて吐き気がします。
 こうした「恋愛は男が主導するべき」みたいな風潮は言葉にも表れています。例を挙げると「逆告白」「逆プロポーズ」「逆ナンパ」という言葉です。オリジナルの「告白」「プロポーズ」「ナンパ」という言葉の辞書的意味には「する側・される側」に関する定義はありません。

【告白こく-はく】
心の中に思っていたことや隠していたことをうちあけること。また、そのことば。「罪を―する」「愛の―」

広辞苑

【プロポーズpropose】
申し込むこと。特に、結婚の申込み。求婚。

広辞苑

【ナンパ】
面識ない者に対して、公共の場で会話、遊びに誘う行為。

wikipedia

 試しに「告白 どっちから」と検索してみてください。ヒットするサイトでは主語が男性な場合が多いと思います。次に、「逆告白」「逆プロポーズ」「逆ナンパ」と検索してみてください。主語が面白いくらいに女性だと思います。

 で、「逆告白」と検索した時に気が付いた人もいるかもしれませんが、「逆告白」という言葉は本来「女性からの告白」という意味ではなくではなく「告白を一度断った人が(なんの心変わりのつもりか知らねぇけど)告白を仕返す」という意味がある、ということがわかると思います。いつからか「逆告白=女性からの告白」という認識が広がり、そこから派生する形で“女性から”という意味を包括した「逆プロポーズ」「逆ナンパ」という単語が爆誕し、反対にオリジナルの単語には”男性から”という意味が付与されたのだと思います。

 試しにこのような内容をYahoo!知恵袋で検索してみたところ、似たような質問がたくさんありました。その中ですごく納得した回答があったので紹介したいのですが、どれだけ探してもその質問が見つからなかったのでリンクもなければ僕の意訳になりますが、許してください。

 こと恋愛・結婚に関しては女性が背負うものが少々多いというのがある。
 たとえば出産に関して、性交渉などによって女性が子供を孕った場合、女性側はそのまま男性に逃げられてしまう可能性があるという問題や懐妊による体への負担が大きいと言う問題です。
 こうした女性側の負担を考えた上で、男性側が先導することで諸々の”責任”を背負うという側面が裏にはあるのかもしれない

という内容でした。この回答を見た時、すごく納得しました。それに関しては男性側が背負って然るべきことだなと本当に思ったし、「その責任すら負うのが怖い」と思うほど僕は醜い人間をやっているつもりはありません。
 ただそうだとしても、恋愛について全て男が先導するべきという考えには納得できません。上の引用の意見はもっともだと思いますが、少々その尾ヒレが大きすぎるように思います。

 そして、「逆〇〇」という言葉を調べている中で「逆チョコ」「逆バレンタイン」という言葉を見つけました。意味はそのまま、「男性が女性にバレンタインデーにチョコをあげる」ということなのですが、本当に迷惑なので、余計なことしないで欲しいです。自分がこの「バレンタイン・ホワイトデー文化」に関して先手だった場合のことを考えると怖くなることがあります。「義理チョコ」みたいな文化がありますけど、僕はそれすらも「自分なんかがあげて良いものなのか」とかどうやって渡すかとか考えてしまい、苦しみに押しつぶされる気がします。ことホワイトデーにおいて、男性側は「もらったから返す」という“誰でも使える理由”があるので本当に楽です。こちら側に責任が全く、他人からどう思われているかを異常に気にしてしまう僕みたいな人からしてみればありがたすぎます。
 そこに今、「バレンタインに男からチョコをあげるのがキュンとする」みたいな意見が蔓延りだしているわけです。しかも、「逆チョコ」「逆バレンタイン」のお返しという概念も存在しているらしいです。「逆ホワイトデー」っていうらしいです。ほんと、アホみたい。

 上で引用した回答は筋が通っていて納得することしかできませんでしたが、ネットに転がっている恋愛を偉そうに語るゴミサイトを見ると「女性は告白されたい」とか書いてあります。なんですかね、ロマンティックならなんでも良いんでしょ?って思ってしまいます。背負うものとか責任とかめんどくささとかそんなことじゃなくて、ロマンティックだからそうが良いんじゃないですかね。

 「こういう男性は嫌だ」みたいなサイトを見ると、自分がことごとく当てはまっていて嫌になるのですが、そういう考えを持っている人はこちらからも願い下げなので、僕の人生には関わってこないでくださいね。ただただ目障りなので。

理由3:「確定演出とプライド」

 みっともない話ですが、振られるのが嫌です。告白して振られた後、相手側の仲間内でどんな悪口言われるかわからないし変な噂が広がるかもしれないじゃないですか。告白が成功するという確定演出がないと僕からすることは絶対にできないのですが、そんなものは得られないのはわかってます。逆に、女性から告白された場合、(YouTubeの広告みたいな「罰ゲームで告白してこい」みたいな状況でない限り)それが確定演出じゃないですか。で、告白された時に僕は断れない自信があります。自意識過剰であるが故に相手の気持ちを慮ることの重要さがすごくわかります。これっぽっちの勇気も振り絞らず告白をしてくることはないと僕は思うので、それを踏み躙ることができません。告白したは良いものの僕が思っていたような人間じゃなかった場合、その責任は相手にあることになると思います。お前が見誤ったんだろ、って。僕が恋愛に関してクソで性根の腐った考えを持っているとこは面と向かって誰かに明かすつもりはないし隠し続け偽りながら生きていくつもりなので、悟らせる気もさらさらありません。僕が変にプライドが高くて、損をしたくなくて、責任を背負いたくなくて、こうやってネットの世界で言い訳を立ち並べて、恋愛に鬼消極的なことの言い訳をしていることは、人間と考えが一致させられないネットという場だからだと思います。

 自分が損をすれば何事もなく世の中が回っていく状況というのはたくさんあります。こういうことを言うと、”自己肯定感”みたいなことをすぐ持ち出されます。「自分に自信を持とう」って。そんな程度のことで解決できるような悩みを抱えているつもりはありません。どうしてもそれができなくて、できる見込みがないから、小学生の時からずっと悩んでるんです。割り切りと要領の良さだけでなんでもやってこれたような人に気持ちがわかるわけないだろ。搭載してるOSが、僕とは根本的に違うんだからさ。

 確証がなくとも自分から告白をできる人に宿るその自信は、どこからくるんですか。「自分は相手から好かれている」と思えるのは何に由来したものなんですか。現実・SNS関係なく、周りを見渡すと普通に恋愛ができてる人ばかりです。どこから自分のアイデンティティを自覚して、それを武器として戦えるんですか。「根拠のない自信が大事」みたいなことを言ってくるアホがたまにいますけど、論外なので話しかけてくないでください。

 自分の顔面を度外視しても、自分が恋愛をする未来なんて微塵も見えないです。

 やっぱり一人でいる方が本当に楽だなって思ってしまいます。お金も時間も自分のために使って、それが一番だなと思ってしまいます。彼女がいたら、せっかく家で一人なのに相手に連絡を送るタイミングをずっと伺ってしまいそうだし、急に連絡が来たら返信を送らないといけないという事実で頭の容量を持っていかれて、せっかく一人なのに考え事で時間を奪われてしまいそうです。
 恋愛をしたことがないので実際がどうかなんてわかりませんが、「全然そんなこと考える必要ない」みたいなことを言われるのだけは本当に嫌です。そういうことを平気で言えて気楽に生きていけるようなやつが俺のことを理解できるわけねぇだろ。俺の方が俺のこと理解できるからな。絶対に脳の容量持っていかれるって、俺には分かるんだから。

 こんなのに理解を示してくれる女性なんか、いないでしょ。理解を示してもらうのも申し訳なくなります。もしそんな人がいたら、もっと男らしくて、告白もプロポーズもデートのお誘いも率先してくれて、連絡もたくさんしてくれるような人と付き合ってちゃんと幸せであって欲しいと思ってしまいます。

理由4「人を信頼できない」

 「この人なら信頼してもいいかな」と僕は思っていても、相手は微塵もそんなことを思っていないという状況がすごく怖いです。自分は本当はらわれているのに、勝手にこっちは信頼していて、結局向こうの仲間内で僕の悪口を言われる。
 「本当に信頼できる」と思えて初めてできることが僕には多すぎます。信頼したのに言いふらされたりしたら本当に人間不信になります。それもあって、信頼のハードルが異様に高くなってしまいます。人間のどんな部分から”信頼に値するか”を判断するべきかなんてとっくにもうわからなくなっているし、今のままでいれば現状維持で生きていけるのであれば下手なことはしないでおきたいなと思ってしまいます。

終わりに

 変にプライドが高くて、責任を背負うのが怖くて、自意識過剰で、屁理屈で卑屈で罪をなすりつけるのが、僕です。

 ゴミみたいな人間でごめんなさいね。読んだ人は僕のことを人として見下してください。
 僕はこれが当たり前だと思って生きてきたけど、周りを見渡してみるとどうやら少し違うようなので。
 ちょっと疲れました。

誤字脱字は後で直します。



#216  恋愛についての個人的な考察


世間体から抜け出せるドア

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