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中国日記*1997年夏 その2

 2回目の中国、吉林省長春市にある吉林大学での短期留学で体験した出来事。かつて自サイト「joyful music」(すでに閉鎖)で公開していた記事に加筆修正したものです。

1997年夏の風景

 留学生活自体は1996年とほぼ変わることがないので、1997年夏の風景をご紹介します。

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 長春から吉林、ハルビンへの土日を利用したショートトリップがありました。これは前年と同様です。上掲写真は吉林へ行くバスから撮影した、どこまでも真直ぐな道。私の住む福岡ではこのような風景にお目にかかることはありません。地平線に山が影さえ見せない景色は初めてでした。

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 同じく吉林へ向かう道すがら撮影した農村風景。農村には行ったことはなく、ただ赤いレンガで作られた建物が珍しくありました。

偽皇宮を訪れる

 長春市は、満州帝国時代には首都新京だった。だから、映画「ラストエンペラー」にも出てきた「偽皇宮」があることは、1996年日記にも書いたとおりだ。今年も、ここを訪れることは日程に組み込まれていた。

 「偽皇宮」で、今年は英語を話すガイドさんがついてくれた。皇帝や皇后たちが住んだ居室、会議を開いた部屋、ダンスをしたフロア、そして数々の日本軍のおぞましい行為の写真。最後に溥儀の晩年についてのパネルを説明し終わり、私たちと一緒に庭に出たガイドさんは言った。

「日本人は、このような残虐なことが好きなのですよね」

 やはり私は日本人だった。しかも典型的な「悪い日本人」。何と答えたらいいか分からず、「謝れということか?」「反論しろということか?」とアタマをひねりながら、立ち尽くすガイドさんに背を向けて、その場をあとにしたのだった。

 もう一度そのガイドさんに会えるなら、自分の意見をはっきり言えたと思う。でも、あまりに突然で、予期しない言葉だったのだ。そして少し腹もたっていた。私たち自身はこんなに申し訳なく思っているし、しかも私たち自身がああいうことをしたわけじゃない、と。でも、「思う」だけでは相手には伝わらないし、「私たちが手を下していない」からといって、相手の思いが風化するわけでもない。そんなことが心にずっしり来た、一言だった。

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長春市の発展

 中国の町の発展の速さはすさまじい。

 さすがにまだ馬や驢馬のひく馬車は道にあふれていたが、去年一緒に写真をとった小母さんたちが店を構えていた「永昌市場」という通りは、跡形もなくなっていた。そのかわり、「永昌超市(スーパーマーケット)」という薄暗い建物ができていた。

 長春での生活が三週間を過ぎ、そろそろ北京へ旅立とうという、ある日。馬車が馬面を連ねて野菜&果物売り市場と化していた広い道、これは雨が降るとぬかるむような土の道だったのだが、ここに突然アスファルトが敷かれた。もうもうと立ち込めるくさいガス、熱いアスファルト、その上を平然と(?)闊歩する馬や人たち。ここに、長春の将来を見てしまった気がして、少し悲しくなった。

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↑1997年日記のタイトル画像にしているこちらの写真。
どの路沿いなのかは忘れたが、1997年夏にはまだこのような掘立小屋のようなお店が立ち並んでいた。

(中国日記*1997年夏 その3 に続く)

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