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イエローカード2枚目の離婚宣告を受けていま思うこと

12月で結婚してもうすぐ3年になる。

トラックの荷台で結婚を決め、交際0日で結婚した私たち夫婦。
子どもを授かり荷台の暮らしを手放したからもはや荷台家族でもないんだけど、荷台からはじまった"家族のものがたり"は今も続いている。

赤裸々に言ってしまうと、ぼくは過去に2度の本気の離婚宣告を妻から受けている。
一度目は、子どもがまだお腹のなかにいる頃で能登半島に住んでいたとき。そして二度目は、今年33歳の誕生日を迎えた朝だった。

思い返せば二度の離婚宣告は人生が止まった瞬間だった。これから先、自分は誰のために、なんのために生きていったらいいか頭が真っ白になった。家族という存在を自分から引き算したら残った自分が虚しかった。

それでもなんとか二度の離婚危機を乗り越えて家族の形を保っている。でも正直、二度の離婚宣告イエローカード2枚目がでて崖っぷち感もある。サッカーに例えるなら、次がレッドカードで退場となり、家族から退くことになる。

確かに離婚危機の引き金になった原因は自分にあると思う。

ぼくは人間として、ダメ人間である。

結婚しても他の女の人を好きになってしまう傾向があるし(頭の中の浮気だけどそれもすぐバレる)、正社員になろうとしたけどやっぱりなりきれず稼ぎの大黒柱になれないし、次から次に新しいことに挑戦してもすぐ辞めちゃうし、振り回した挙句の終いには自己否定という暗い闇に落ちて家で死んだ魚のような顔をしているのが何よりも嫌だと妻から告げられた。

ぼくは僕なりに、この社会にとけ込もう馴染もうと努力してきたつもりだ。むしろ、この社会にうまく適合してる人々を羨ましく思う。
でも自分にとって社会に適応するのは、四角い穴に丸い杭を打ち込むような行為で、我慢と無理がたかってとても生きづらくなる。常識や世間一般的な普通を享受できずに苦しんでいる。

妻から「一年以内に起業して成功できず正社員にもなれないなら離婚します」とレッドカードをちらつかされた時とてもショックだった。
自分が家族という共同体のなかで一般的な男の役割「お金を稼いで家族を養う」ことを安心して任せられないのは確かなことだ。

自分は器用貧乏なところがあって、なんでもそこそこできる。仕事も、子育ても、家事も、料理も、掃除も一通りできる。ただ、どれかに特化しろってなると一気に弱くなる。会社員にはなれず、一人でワンオペ育児も無理だし、主夫もやってみたけど年がら年中ずっとはできない。もっとオールマイティーにこなせる道を今は模索している。

12月から妻が働きにでて、もうすぐ1歳8ヶ月になる息子は平日保育園に預ける。ぼくは家事と保育園の送り迎え、そして起業準備をする。
という新しい役割分担を来月からはじめる。

夫婦の役割、家族の形は必要に応じて変化していくものだと思う。

これまでたくさん試行錯誤したけどうまくいっていなかった夫婦の立ち回りが今回こそしっくりくることを願っている。

結婚してもうすぐ3年という時間は家族という共同体になる準備段階で根っこを生やしてきた期間だと捉えて、これからは羽ばたいていこうと思う。