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”問いを持つ”とはどういう過程を経るのか?

社会に出てからやたらと求められる「能動的行動」。

能動的に行動するために一番重要なのは「問いを持つ」ことだと私は考えています。

そこで今回は「問いを持つ」とはどんな行動なのか、分析してみます。

《目次》
・もともと人には特性があるのではないか?という仮説。
・問いはどこからくるのか?
・”問いを持つ”行動はなぜ減っていくのか?
・”問いを持つ”という行動はどうやったら増やせるか?


もともと人には特性があるのではないか?という仮説。


実験で昔こういうのを見た。

地図がある。つながっているようでつながっていない2本の道がある。

行き止まりの道が2本ある感じだ。

そのつながりそうな部分に穴をあけてしまう。

すると途端に脳はその穴、つまり抜けている情報を埋めにかかる。

結果、2本の道は脳内で繋がってしまうのだ。

そんな実験だった。

ここから出てくる仮説は、

『人は不足部分を発見すると既存知識等で補いたくなる』

というもの。

つまり、穴があれば埋めたいし、疑問があれば答えを出したい。

それが人間だ、という仮説。


問いはどこからくるのか?


問いを持つための条件を考えてみました。

まず、問いを持つための基盤となる知識、経験が必要だと考えます。

これは、多くは幼少期からの経験、見聞きしたこと、教えられたこと、などから構成されると思いますが、

いわゆる集団無意識というかアカシックレコードのようなものもあるのではないかと、ここも範囲に含めたいのが私個人の見方です。

続いて、基盤の上に2つの相対するものが出てきます。

”すでにあるもの”と”まだそこにないもの”、です。

”すでにあるもの”、とは、これまでの人生で得てきた価値観、ルール、●●と言えば▲▲という法則性、

あるいは、これからに対する目標、目的、やりたいこと、欲していること、などです。

これに対し、上記のそれぞれに対応する”まだないもの”の部分が”問い”にあたります。

すでに自分の中にある価値観の反対側に「この価値観は合っているのか?」「今目の前で起きていることはこの価値観と相容れることができることなのか?」「どうしてこうなのか?」。

すでに自分の中にあるルールの反対側に「今の出来事はルールに反するのではないか?」「どうしたらルールに当てはめられるのか?」「このルールは間違っているのか?」。

すでに自分の中にある、●●と言えば▲▲、という法則性の反対側に「●●と言えば▲▲、は間違っているのか?」「これに当てはめるにはどうしたらいいのか?」。

目標・目的・やりたいことに対し「どうしたら達成できるか?」「こうしてみたらどうか?」「これではできないのか?」。

などなど。

これはある意味陰陽のようなものですね。

これらから言えることは、問いを持つためにはもう一方の相方が必要そうである、ということです。


”問いを持つ”行動はなぜ減っていくのか?


理由を2つ考えてみました。順に紹介します。

理由の1つ目は、行動分析学的にいうところの「周囲から強化されなかった」ということです。

私たちは基本的に2つのことを同時には行えません。

毎瞬毎瞬、どの行動をするかたった1つを選んで生きています。

2択が「問う」と「従う」だった場合どうでしょう。

学校の先生が、あるいは親が。

「この問題を解いてみましょう」と言ったとき。

「その問題を解く必要があるんですか?」「この問題はなににつながりますか?」などなどの問いを持ったとして、それを発言したあとに納得できる答えがもらえなかったら?

そもそも無視されたり、指示に従うことを強制されたとしたら?

すくなくともその先生や親の前で問いを発することは減っていくでしょう。

それが般化していくと、先生や親だけでなくほかの先生や大人、もっと広がると友人らにも問いを発すること自体をやめてしまうかもしれません。

あぁ、これは職場でもよく起こりそうですね。

私が考えるもう一つの答えは、

問いを持っても、納得のいく答えが出せないことが続いたり、答えを出したことで将来に不安を覚えたりして答えを出すこと自体に何かしらの不安や恐怖を経験した場合です。

問いを持つということは、今そこで立ち止まっていることを表します。答えが出るまでは先に進めないわけです。

そうすると、答えが出せないとずっと先に進めないためストレスを抱えます。

その状態に耐えられない場合は問い自体を捨てて、悪化すると問いを持つこと自体をやめてしまうでしょう。

また、問いに対して得られた答えが実行不可能だと思えることだったり、どうしても不安や恐怖につながる結果だった場合。

同じくその状態に耐えられないので問うたこと自体を忘れようとしたり、封印したり、問いを持つこと自体を恐れたりするのではないでしょうか。


”問いを持つ”という行動はどうやったら増やせるか?


私は人生において「問いを持つ」という行動を教わった記憶はあまりありません。

学校でも家でも、どちらかというと言われたことを実行することに全力を注いできました。

唯一得意だった問いは、「この問題はどうしたら解けるか?」「別の方法でこの問題を解くことはできないか?」でした。

”学校の勉強”という囲いの中で生きていた感じが半端ないですね笑

そんな私だったので、新卒での就職先は学習塾だったわけですが(余談です)。

問いを持つ行動は何によって強化されるか?

それは、問いを発言をした時の周囲からの反応や、問いに対する答えを見つけた経験、あるいは見つけた答えが先につながっていく経験です。

つまり、大きく分けると①周囲からの反応、と②自分の中で終わること、の2つがあります。

①は、周囲に問いを発して、問いを発したこと自体を評価してもらうか、もしくはその問いに対して答えをもらうかです。

②は、問いを発する相手は自分で、答えも自分で探します。見つけられたらそれだけでOKです。

段階によりますが、問いを発する経験があまりない人にとって①はハードルが高いかもしれません。

その場合は、次のような超スモールステップから始めるのはどうでしょう。

「これはなんだろう」
「なぜこれはこんな形(色)をしているんだろう」

この2つを呪文のように唱え続ける。
そして答えを何か1つ見つけてみる。必ず。

どんな答えでもいいので、見つけた答えを、発言する、ノートに書く、twitterでつぶやく、友達に教える、メモする、などなど。
できれば形に残ると経過もたどれるし、振り返りもできるのでいいですね。

次に、自分が成長発展したい場所、分野などを決めてみる。
例えば特定の人とのコミュニケーションをよくしたいのか、職場での業務スキルを上げたいのか、
雑学王になりたいのか、お金持ちになりたいのか、旅行に行きたいのか、などなど。


余談

ちなみに、ここで書いた考え方の中心には、心理学の一つである「行動分析学」の理論があります。

本文中にもいくつか専門用語 (強化、般化、など) も入れてしまいましたが、人の生活をよくしていくうえで行動について知ることはとても強い武器になると私は考えています。

もし興味ある方いらっしゃればおすすめの本はこちらです↓

「メリットの法則 行動分析学・実践編」 著・奥田健次

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「行動分析学入門 ~ヒトの行動の思いがけない理由」 著・杉山尚子

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