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【連載】かくれ念仏/No.21~どなたかにご指導いただきたいこと~



●どなたかにご指導いただきたいこと

かくれ念仏のことについて学習する中で、どこで見たか聞いたか、出典がわからなくなってしまったことがある。まことに恥ずかしく、反省すべきことなのだが、どなたかご存じであれば、お教えいただきたい。

ひとつは、鹿児島の真宗禁制は、ずっと厳しかったわけではなく、或る藩主の時には桜島に真宗寺院を建立する話があったということ。結局この話は実現しなかったのだが、これが果たしていつの藩主の時だったのか。

もうひとつは、藩政下で一度だけ一向一揆があったということ。明治6年(元年説もある)にも大口で一向一揆が起こったが、これとは別で、より古い時代に一向一揆があったという。
これを何で読んだのか…。何か情報を持っておられる方がいれば、ご指導くださいませば幸甚です。

また、「かけつけ」という仏事についても気になることがあって、出来ることなら南九州の多くの寺院に調査を行いたいぐらいだ。と、いうのは、自坊である垂水市柊原の真宗寺では「枕勤め」にあたる仏事がなく、その代わりに「かけつけ」という仏事が営まれる。

本来、枕勤めは、命が残り僅かとなったその最期の時を看取りながら枕元でお経をあげる儀式のことを言い、現代では一般的に、亡くなった直後のご遺体を安置し、枕もとに枕飾りと呼ばれる小さな祭壇を設け、僧侶が勤行をおこなうものだ。宗派や地域によって、枕経、枕頭回向などとも言う。この場合、多くは僧侶がお宅や病院に出向くわけだが、かけつけは違う。かけつけは遺族がお寺に参ってきて、その場にご遺体はない。また、喪主家族は葬儀の段取りやらで忙しいので、かけつけはだいたい故人の類縁や近所の人が二、三人来られる。だから僧侶はお通夜の時にはじめて故人と喪主家族に面することになる。

このかけつけという仏事の由来などはもはや不明である。しかし、大隅のお寺さんに尋ねてみると、ほかにも何ヵ寺かは、枕勤めではなく、かけつけを行っているとのことだった。

興味深いのは、カヤカベ教の臨終勤行も名を「かけつけ」と言う。この場合のかけつけの意味は、浄土から阿弥陀や菩薩やらが駆け付けてくるという、「来迎」の意味での「かけつけ」である。そして、導師は式後に、「故人はただいま浄土に往生した。往生には何分かかった。」と往生の所要時間を教えてくれる。この時間が短いほど生前熱心に信仰を保っていたという証左にもなる。仏事の儀式的・教義的差異は如何にせよ、臨終勤行を「かけつけ」呼称する例の分布はあるようだ。これが大隅特有なのか、それとももっと広域に及んでいるのか。今後調べていきたい。

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