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お寺の掲示板 【No.37/柊原のお寺・真宗寺/2024.3月】

バットエンドはない。僕たちは途中だ。

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芥川賞受賞作家で、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんの小説にこんな言葉がある。

「生きている限りバットエンドはない。僕たちはまだ途中だ。これから続きをやるのだ」

どうして、又吉さんはこのような力強い考え方が出来るのだろうか。それは、彼の芸人としての哲学・笑いの鉄則が根拠にあるからだ。
「人生にはいくつも理不尽なことや辛いことが必ず待ち受けている。しかしその辛い日々というのは、その後必ず来る嬉しい出来事の前フリだ。常に今は途中で必ず先があるのが人生だ」…又吉さんは或る講演の中でこのようなことを述べられている。

笑いには「フリ」と「オチ」がある。自分の人生が一本のコントや漫才や小説だとすれば、現今のさまざまな困難は、作品をより魅力的にするための演出かもしれないし、それがフリとなって、大団円かどんでん返しか、はたまた悲話かも分からないが、物語の佳境やクライマックスで、必ず重要な意味を持って回収され、人生は有終完美完結し、掉尾を飾る。

私はこの思考法が、とても浄土教的だと思う。浄土教の本旨とは「未来への約束」だ。いつその時を迎えるかは分からない。途方もないことなのかもしれない。しかし必ず我々は未来において安息を得る。人生今が苦しい。またその苦しみを受け入れろなんては言わない。ただ苦しくっても何人にも絶対的に先はある。畢竟、春は必ず来るのだ。身は冬にありながら、心に春を掛け、後生の春光を大望する。それが浄土教という仏教なのだ。

 われらの前途は光であり
   われらの背後は命である
         『親鸞の仏教史観』曽我量深

全ての来歴は一切報われる。


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