見出し画像

【連載】かくれ念仏/No.10~鹿児島の真宗民語その2~

齊藤節さいとうぶし

禁制下の潜伏僧の一族である齊藤家の出自は、島津藩家老(或いは藩重臣と伝えられる)であるという。

その祖は武士の身分を捨てて出家し、齊流寺釋恩暢(俗名 齊藤齊流)と名告り、薩摩に多くの講を結び、その教導にあたった。

齊流は、「薩摩諸講執事」として、西本願寺より薩摩国出身者で最初の浄土真宗の僧分に引き立てられ、後に薩摩国最初期の寺号「齊流寺」を西本願寺に願い出るなど、鹿児島の真宗の歴史に大いなる貢献をされた。

また、かくれ念仏への弾圧の様子を本願寺に報告したり、本願寺への冥加金を集めて送ったり、現在でいう教務所の役割を果たしておられた。

その齊藤家の率いた講では、対外的な隔たりのため、正信偈や和讃の節回しが独特なものへとなっていった。これを齊藤節と称する。齊藤節は齊藤家の拠点である阿久根市や薩摩半島の講のあった何か所かの地域に伝わっていたが、現在には継承されていない。ただ幸いなことに、阿久根市西目の光明寺のご住職が齊藤節の一部を録音されているという。

ちなみに、齊藤節とは違うが、『大隅第50号』85頁によると、末吉の内場仏飯講の正信偈の節も独特だという。また、この節と串間市の笠祇・奴久見・古竹地区の門徒の節まわしは酷似しているという。

大隅北部や諸県地方にかけて組織された巨大な講である、「薩州内場仏飯講」もきっと、節回しに特徴があったのだろう。

この記事が参加している募集

日本史がすき

サポートしてくださったら、生きていけます😖