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【連載】かくれ念仏/No.13~鹿児島の真宗民語その5~

曖昧僧あいまいそう

禁教中の南九州には有志の僧がひそか布教に来ており、西本願寺も使僧を派遣していたが、真宗解禁後はこれらの潜伏僧を「曖昧僧」と呼んで非難した。

というのも、これから政府とともにやっていこうという矢先、過去に公儀に反して禁足地に僧侶を送っていたとなると、本願寺は信用されなくなってしまう。そこで、「薩摩に布教に出た僧侶は、本願寺としては与り知らないもので、私的に本願寺の教えや納金をしていたようだが、彼らが勝手にしことで、本願寺としては、これまでも、これからも、官府に背こうなど思ってもいない」というアピールとして、実際には命令を出して鹿児島に派遣した僧侶や庇護していた僧侶を、「曖昧僧」と呼んで切り捨てたわけだ。

当時の仏教界は廃仏毀釈など、明治維新のご一新の影響で虫の息状態だった。真宗教団もそうで、親鸞の教えを押し曲げ、王法為本の教説、つまり愛国愛民を掲げ、現世は天皇に帰依し、来世は阿弥陀に助けられることが真宗であるという教説を展開していった。

昭和末に、本願寺はかくれ念仏にまつわる関与のあった僧侶への扱いを撤回し、潜伏僧らの名誉は形式上の回復がなされた。

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