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2024.3.22の日記「思考迷路。」

明日雨降ったらますます出かけなくなるぞ。出かけたい気持ちあるんで出かけさせてくれと思いながら今を生きている。

基本、一人で行動するときはいろんなことを考えながら行動する。『考える』という言葉にすると、なんか難しいこと哲学系を考えてると思われてしまうかもしれない。それはそれで頭がいいと思われたいのでそう思われてまったく構わないのだが、実際は本当にどうでもいいこと。
「地元に野菜をたらふく食べられるレストランあるのかなー」とか「飛行機この値段だったら都内に行くより安いじゃん!ホテル探してみるかー」とか基本どうでもいいこと。たまーに小難しいことを考えちゃったりする。

人間関係とかね。

基本人間関係に無頓着である。『来るもの拒まず、去るもの追わず。』
自分から連絡等はよっぽどのことがない限りしない。できない。必要性を感じない。こういうと聞こえが悪いけど、だけど、必要があったときはちゃんと連絡する。してる!!!

で、私の人間関係はまあ恋人でも友達でも全部、他人を介するものに関しては自分が得をする相手としか絡みたくない。この場合の”得”というのは別に物的なものだけの話ではない。私が一緒にいて楽しいと思える”得”が一番大きい。さらに言えば一緒にいることが楽しいと思えなくても、それ以上の得を感じることができれば付き合いをやめることはないと思う。この”得”がなくなった時点で関係性は消滅するといってもいいだろう。

もちろん私が”得”するだけじゃ公平ではないので、私も、私と一緒にいる相手が私といることによって”得”ができるように私も努力をする。お互いに与え合う”得”が同じ量であるのが望ましい。この関係性が一番の理想形である。どちらかの”得”が不平等になった時点で、我慢ができなくなり爆発する。これが一番最悪。爆発して収集がつかなくなったらもう関係は修復できないだろう。

これは身近な人間関係だけではない。
推しとファンの関係性でも言えることだと思う。推し(なんらかの活動者)はファンが望むものを与える(楽曲・演技・漫才etc…)をファンに向かってすることにより、ファンはその対価(お金・応援)を支払う。これが”得”の等価交換。どちらかの供給が一方的に多くなってしまったり、少なくなってしまったりするとどちらも損をする結果になる。お互いにお互いのこと嫌いになったりしちゃう。辛すぎ。

無償の愛とよく言うが私はこの言葉は「我が子」とか「犬猫(ペット)」にしか通用しないと思う。てか、無償の愛を語るやつほど、うさん臭くて信用ができない。ただより高いものはないとはまさにこのこと。

私が好きな人たちは私と過ごすことによって「損」だけはしてほしくないなと思う。つまらなかったなとか思ってほしくない。
私は、友達と一緒に過ごしてもらうことで大きな得をもらっているのだ。その得にはどうお返しすればいいのだろうと悩むし、結果ちょっとやりすぎたかも…なんて後悔することも多い。難しい。
「来るもの拒まず去る者追わず」というけど、好きな人に去られたらちょっと悲しいよ。さすがにね。

人間関係に無頓着というけど、そういう言うことによって離れていった人たちに対して気にしてないフリをしてるだけなのかも。たまに来るものも拒んじゃうしな。。。。。だめじゃん。

なーんてことをモヤモヤ考えていたら、職場を通り過ぎていた。よくやる。

じゃ、また。

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