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2024.4.5の日記「良くも悪くも」

私は私の好きなところがある。
それは”そのとき好きなものに対して後先考えずにお金を使う”ことだ。好きになったら落ち着くまで際限なくお金を使ってしまう。グッズだったり配信だったり、コンサートや舞台、ありとあらゆるコンテンツハマったらハマっただけお金を使ってしまう。今もそう。治ることがない。私は私が満たされるまでお金を使ってしまうのだ。よくない。本当に。よくないと思いつつも、絶対に必要ないグッズ等を買ってる時が楽しくてならないのだ。

誰かが何かで言っていた。ファン?オタク?には大きく2種類いて、自分が好きなものを他人にも共有したいタイプとそうじゃないタイプ。前者は自分が好きになったコンテンツを、人に共有するためにいろいろ模索したりするのかな?それこそ友達とか恋人とかに。別にそれも悪いことじゃないし、一緒に楽しめる相手がいるのであればそれに越したことはないと思う。

一方、後者。完全に自己完結型。自分が好きであれば誰が好きとかは関係ない。興味があまりないタイプ。

で、最近は前者の共有型が多くなってきてるからそれこそ『推し活』なんて堂々言われるようになってきたのかもしれない。複数人で共有して、大きいコンテンツになっていってるよなあと思う。

そして私はもちろん自己完結型である。
好きなものに対して別に一人でも楽しめるタイプ。確かに誰かとわーきゃー言うのは楽しい。ここがいいよね、あそこがいいよねって語り合うのが嫌いなわけではない。むしろ好きなほうである。けどもわざわざ自分からそのような友達を作ろうと思わないし、誰かに好きなものを紹介して、好きになってもらおうとかいう気持ちがなくなってしまったなあと。昔はあったけど、それでも知識皆無の人とかには進めても無駄だと思っていたので、若干興味ありそうな人にしかオススメ等はしてこなかった。
そしていまやオススメすることもなく、自分がいかに好きかというのを興味ない人に話してしまうようになってしまった。相手がそれを好きか嫌いかなんて関係なくなってしまった。関係なく気持ちをしゃべってしまうようになった。

これはもしかして第三勢力か?

私が好き。
これ以上のことはないというメンタルで生きるのが最適解ということを言いたかっただけなのにめっちゃなんか寄り道した気がする。

好きなものを好きな時に、好きなだけ楽しむ。

私のモットーではある。

好きを人に押し付けてあなたも好きでしょ?は一種の暴力と同じなので、これはしないようにしないとね。好きの強要は暴力。

あなたは興味ないだろうけど、私の好きなものの話を聞いて!と一方的に話してしまうのも暴力になっちゃうのかなあ。。。わたしは全然話聞けるから暴力とは思わないけど、感性はひとそれぞれだから無暗にこれもできないね。

人それぞれの感性ってまじでむじぃな。


じゃ、また。


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