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主従関係1 --新しい概念?

 こんばんは、乙訓野添です。このnoteは、その時々に感じた事を書き綴っていますが、後で知識がアップデートされた場合は、前のを削除して書き直します。今回は、その初のシリーズです。

 去年の暮れくらいから、急にSMがXではどう扱われているのかが気になって、探索する様になりました。そこで目立ったのが「主従」とか「主従関係」、「従者」という言葉でした。いわゆる、昔はM女と言われてたのが従者と呼ばれ、それに対するS男の事は「ご主人様」と呼ばれています
 まぁ、ご主人様という言葉自体は、昔からあったと思いますが、自分がSMを知った時代には、メイド喫茶みたいに「ご主人様」と呼ばれる様な事はありませんでした。また、従者とは呼ばず、奴隷とか愛奴(愛する奴隷)といった言葉がありましたが、それもM女本人に向かって使った様な記憶はありません。というのは、「ご主人様」とか「奴隷」という言葉は、ロールプレイの一つであるという認識だったからです。
 ロールプレイとしての主従は、あくまでロールプレイの間だけのものですから、プレイ以外は対等の恋人、夫婦な訳ですが、ロールプレイが苦手な人も多いので、それほど主従という関係をクローズアップして認識する事はなかったのです。

 ところが、Xの中でよく見かける「主従関係」は、そんな生易しいものではありませんでした。自分が気を引かれたのは、この言葉でした。

SMは性癖だけど、主従は生き方だから

 これはすごい言葉です。自分の表の趣味でも、「NO BIKE, NO LIFE」といった言葉がありますが、それに近いニュアンスかと思ったら、そんな甘っちょろいものでなくて、文字通り、「生涯忠誠」といった雰囲気なのです。ロールプレイの域を超えている、と感じました。
 そこで、その「主従」という関係が、どの様なものなのかを、聞き込みしてみました。その結果、分かったのは、こういう事でした。

主=従を支配する、管理する、自由に使う
従=主に従属したい、管理されたい、主の求めに全幅に応じたい

 こういう気持ちは、SMの関係なら大なり小なりあるものですが、それが
生来の性的嗜好であり、それを分かち合える相手に、生涯にわたって責任を持って支配し、思慕をもって従属する、というのが、どうやら「主従関係」というものの様です。こうした考え方を「生き方」として捉えるほど、真剣なのです。
 こうした主従においては、主は従を好きに使う事が出来、従にはそれを拒否する権利がありません。というか、従はそれに従うのが快楽なのですから、拒否するという前提がありません。だから、第三者的な目線で見れば、主側には権利しかなく、従側には義務しかない、極めて片務的な関係に見えます。しかし、これが彼らの喜びとするところなのです。
 自分がこれまで体験してきたSMは、M側に被虐嗜好があるとしても、出来る事出来ない事のすり合わせを、して欲しい事への挑戦を試みる、という相互的な関係でした。その視点から見ると、非常に奇異に映ったのです。

 そこで、自分は「従者」と称する女性何人かに、意地の悪い質問を投げかけてみました。それは、

もし、ご主人様が、ビルの5階から飛び降りろと言ったらどうするか?

 というものでした。答えは予想通り、「そうする」というものでした。生殺与奪の奪われた状態に心酔しているからです。本当にそうしたら、凄い事ですし、大したものです。インドの寡婦殉死、サティーに匹敵します。しかし、ほとんどの人が上の台詞の続いて、こう言いました。

でも、ご主人様はそうした事を命じない
そういうご主人様と付き合ってない

 これは意地の悪い解釈をすれば、「そんな事言われる心配がないから、覚悟だけなら語れる」という事です。覚悟するのとそれを実行するのとでは、天地ほどの決意の差があるはずです。
 これを聞いて、「結構都合いいな」と感じました。絶対服従が嗜好ではあっても、どこかしらにリミットがあって、また相手との好みが合致してて、その範囲での主従という訳です。要するに、そうした関係、ロールプレイに嵌り込んでいる人が、「主従関係」と称している様に感じました。

 この話し、結構長くなるので、一旦ここで切ります。実に興味深いです。これまで書いた事は、現時点で自分の理解ですので、また後日、アップデートされた時には、改稿します。


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