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追放

 こんばんは、乙訓野添です。思い出すだに後悔と胸糞が湧き上がるカエルシリーズ、今回が最後です。

 適応障害の診断と投薬を受け、原因がはっきりしてからというもの、それまで我慢していたカエルへの不満は、溜めず全部カエルにぶつける様になっていました。そうする事で、自分の精神の均衡は、徐々に取れる様になっていました(と思っていました)。しかし、そんな文句ばっかり言う相手と一緒に居る意味があるのか。そういう思いは日増しに強くなっていきました。
 カエルは看護師だという事で、最初のうちこそ仕事に行ってる様でしたが、この頃には全く仕事に行く風でもなく、ずっと自分の部屋にいる感じでした。家の事はやってるとはいえ、体重90kg以上の大飯食らいを養うのは、さすがの自分の稼ぎだけでは間に合わず、毎月食費を取る様になっていました。
 ところが、このあたりから、財布が急になくなったり、置いてあった金がなくなったり、という事が起こり始めました。最初のうちは、どこかで落としたのかと思ったのですが、そうこうしている内に、ずっと家にいるカエル以外に下手人はいないと確信する様になりました。
 そこで、あえて盗られやすいところに金を置いておき、どうなるか試したところ、綺麗そっくりなくなりました。これを好機にカエルに嫌疑をかけ、大音声で怒鳴りつけ、犯行を認めさせようとしました。当然、やってないと言い張っていましたが、それは折り込み済みでした。大ゲンカをして、追い出すキッカケとしたのです。
 そして、あるレースの帰り、不首尾でリタイアに終わった時、不意に

あのデブ、追い出そ

 と決心が固まり、帰るなりカエルを呼び寄せ、付き合いを辞める事、直ちに出て行って欲しい事を告げました。ゴネられるかと身構えていたのですが
、あっちも遠からずそうなる事を覚悟していたのか、あっさり了承。ただ、荷物の引き取りがあるので、完全退出は1週間後と話しがまとまりました。
 別れる事は決まったものの、3年も一緒にいたので、色々残務がありました。例えば、拾った猫を自分が帰省中にどう世話するかで、その時だけはカエルが来ることになりました。今から考えたら、他に方法はいくらでもありそうなものですが、そのくらい、その頃は依存してたのです。
 一週間後、カエルはいなくなりました。一気に空気の量が増えた様な、6畳間が12畳くらいになった様な、猛烈な開放感でした。今夜から夜中に隣の部屋から明かりが漏れてこない、物音がしない生活です。憑き物が取れた途端、なんであんなバケモノみたいな奴と3年も居たんだろう、と疑問に思う様になりました。
 一体自分は、何に耐えていたのでしょうか。貴重は40代の3年間を、全く無駄にしてしまった。でも、後悔したって始まらない。むしろ、これから人生を楽しみ直すんだ。そのくらいの気持ちになっていました。

 カエルとの付き合いを通じて、自分はタヌキ時代に培った自分勝手の芯を一旦へし折られ、反抗する過程で弱さを併せ持った芯に再構築された気がします。つまり、優しさや思いやりを持ちつつも、毅然と自己を本位とする芯に変わった気がします。とはいえ、非常に苦しい黒歴史でした。

 今回のnoteはここまで。実は猫を世話を保護にされたとか、5万円返してもらってないとか、まだありますが、もういいです。いいねやコメント頂けると励みになります。最後まで読んでいただき、有り難うございました。


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